
きょうあん
【教案】 授業の目的・方法などを書いた予定案。学習指導案。
そう、つまり、その授業のゴールは何で、どんな時間配分でどんなことをやるの? 注意点は?
使う教材は? などなど、つまり、自分の授業計画書です。
日本語教師はこの教案をきちんと作らなきゃいけないと言われていて(暗黙の了解)、人によってはその作成に[とてつもない時間]をかけられている様子です。
それが2017年11月初旬に、とある日本語教師の方がTwitterでアンケートをとった結果なのですが、なんと! 80%の方が「1日の授業の教案作成に、まるまる1日かけている」というものでした。

・・・・!?
もし仮にそれが本当だとしたら、1週間授業するのに、「教案」作成するだけで、+1週間もかかるということでしょうか?? 一体いつ寝てるのでしょうか? というか、「教案」だけにそんなに時間かけますか?という話です。
ぼくにとっての「教案」は、ライブコンサートのセットリストみたいなもので、あとは授業(LIVE)の中での空気感や生徒の反応次第でいくらでも変更せざるを得ない。そう、動的にその場で変更してなんぼのものだと思ってます。生徒も授業も生きものなんですから。
ざくっとやるべきことだけ箇条書きでメモしておいて(※しかも自分が読めれば/わかれば良い! ⇒ここ重要)、教材がつまったフォルダをラップトップでひととおり確認しておけば、もうそれで授業はできるはず。いや、それ以上でも以下でもないと思います。
ぼくもまだ日本語教師として駆け出しのベトナム勤務時代、当日の朝、急に同僚の講師が病欠になって自分が代講することに。授業開始の20分前くらい。しかも一回も入ったことのない、見知らぬベトナム人大学生20人のクラス。
初の直前代講。スタッフから言われたときは、正直、一瞬固まりました・・・、でも、やるしかないです、空きの講師は自分しかいなかったですし、いつでも代講できることも常勤講師であることの存在意義なんですから。
で、(病欠の人は病院直行だったので、引継ぎもないまま、準備もほとんどなしで)もちろん、やりました。結果、何の問題もなく。というか、かえってすごく楽しかった思い出の代講授業となりました。
学生のほうも、いきなり違う先生が来たから興味津々で、お互い活発なQ&Aから始まり、こちらから「で、きみたち今、教科書のどこら辺を勉強してるの?」という直球のさぐりを入れつつ、的を絞って、あとは自分なりのやり方でLIVEをするだけ。
いや、やってみたら、できちゃいました。引継ぎなし、教案なしでも。何とかなるものです。
そこを、「いや、すみません、自分は教案作成するのに最低1日必要なので、今言われても困ります・・・」なんて断ることなんてできません。プロなのですし、何より学校まで学びに来ている生徒に、学びの場を提供しなければなりません。現実世界では、何でも計画ありきには物事は進まないのです。
■ 教案以外のことに時間を使って、授業そのものをアップデート

すごく時間をかけて、ときにはセリフ回しまで入れた教案を作って粛々とシナリオ通りに授業を進行させようとするのは、言わば、「教師のエゴ」なのではないでしょうか。
教案は誰のため? 学習の主役は、あくまでも生徒です。生徒の反応を観察して、生徒の理解度具合によって、教案はいくらでも変更してもいいですし、別に教案通りやる必要もないのです。
あくまでも授業前に想定して書いた青写真であって、自分の書いた教案に自分自身が縛られるというのも、ちょっと本末転倒のような気がします。
また、精魂込めた教案を時間かけて作るよりは、いいウォーミングアップ考えたり、教材をアップデートしたり、いい映像素材探したりとか、のほうが大事だと思います。あともちろん自分自身を進化させるためにいろいろな角度で日々情報を仕入れることもすごく重要なことです。授業そのものを改善していくべきであって、教案に時間かけすぎるのは本当に時間がもったいないと思います。
教案を準備し過ぎてオーバースペックになり、実際の授業は必ずしもその通りにいかず、そしてまた次の授業の準備に追われ・・・これを繰り返していては、ほんとうにやがて燃え尽きてしまいます。
教師の仕事はトーナメント戦ではありません。リーグ戦で長いシーズンの中で体調を維持しながらコンスタントにいいパフォーマンスを出さなければならないのです。
そう考えると、自分のストレスマネジメントや体調管理も含めて大切な授業準備だし、教案がオーバースペックにならないようなクオリティの管理も授業準備、巧みにライフハックしながら時間効率を高めていくのも授業準備、そして、日ごろから調査・研究を重ねて授業を細かくアップデートしていくのも授業準備なのです。
教案の呪縛から解き放たれたいものです。教案だけが全てではないのです。むしろ教案なしでも即興演奏のように生徒と一緒に授業を作れる力の方が大切だと感じています。
もっと肩の力を抜いて、語学も授業も本来はもっと楽しいもののはずです。細かい教案よりも楽しく学べる授業体験をクリエイトすることに時間を使って行きたいと思うのです。
じゃ、またーー。
[…] 前回、教案なしで授業ができるようになろうって書いたけど、ガッチガチの教案作成推進派のベテラン先生たちは、当然のごとく「教案と一緒に、[板書計画]も作りましょう」って言ってる。・・・でしょうね。それが今までの王道だったんだから。 […]
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[…] まるで青空教室みたいですが・・・、でも物理的な空間よりもむしろ、心理的なほうの空間が広がって、みんなストレスなく勉強してます。ぼくら講師陣もLIVE感を大事にして、そのときそのときの空気や変化を捉えて、授業を進めています。だから、講師のセリフまで書いたガチガチの教案って意味ないんですよね。逆にアクティブにダイナミックに変更できるからいいんです。 […]
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[…] まるで青空教室みたいですが・・・、でも物理的な空間よりもむしろ、心理的なほうの空間が広がって、みんなストレスなく勉強してます。ぼくら講師陣もLIVE感を大事にして、そのときそのときの空気や変化を捉えて、授業を進めています。だから、講師のセリフまで書いたガチガチの教案って意味ないんですよね。逆にアクティブにダイナミックに変更できるからいいんです。 […]
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[…] 伝統的な授業計画のあり方としては、当然のごとく「教案と一緒に、[板書計画]も作りましょう」っていうふうになっていると思います。(参考記事: ソボクな疑問: 細かい教案って、ほんとに必要なのでしょうか。) […]
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