日本語教師って、一般的に、生徒に「たくさん間違ってください。」って言いますよね。
こんなふうに ⇒ 「たくさん間違うから覚えられるんですよ。もし間違わなかったら学校で勉強する必要ないでしょう? 間違うことが勉強です。さあ、たくさん間違ってください!」
本当にその通りだと思いますよ。第二外国語って、自分フィルターを通して放ってみた言葉の積み重ね(特に間違った場合にその間違いの原因を知って、正しく言い直してみて口慣れしていくプロセス)でぐんぐん伸びていくわけですからね。どんどん発話して間違いを修正していきながら血肉化していくっていう流れです。
要は失敗から学ぶということですね。ビジネスでも基本中の基本。人生哲学の鉄板ですね。
じゃ、日本語教師も失敗していいですよね? だめですか? どうして? 「教師」だから?
日本語教師だけは、特別、ビジネスの世界からも人生哲学からも外れてしまうんですか??
いやいや、そんなことないはずです。日本語教師だって失敗していいんです。
えっ? お金をもらって教えてる立場なんだから、教師が失敗していいわけないだろう、って?
そこの思考に留まっている限り、いい授業は生まれないと思います。別に教室でイリュージョンマジックをするわけじゃないんです。どんな天才だって失敗から学んで自己修正していくわけです。ていうか、[絶対] 誰でも授業の中での失敗はありますよね。ほんと、サーッと脂汗が出てきそうな。しかも数えきれないぐらい・・・。
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オーストラリアの養成講座で学んでいるとき、ベテランの教務主任の先生が、新人先生の教案を何度も何度もチェックしているのを見たことがあります。その先生はいつも不安顔で、自分の教案・教材を教務主任の先生にちょこちょこと何度も持って行って・・・チェックOKが出るのを待ってから授業をしてました。
う~ん・・・。。
まるで、試験合格して車の運転免許とったのに、車を買った後も教官が助手席に乗り込んできて監視されているような・・・。
免許取った意味って何でしょうか? 自分で運転するために免許とったわけでしょう?
だったら、たとえ初心者マークでも新人に自由にやらせてあげましょうよ。その新人先生を【採用】した時点で他の先生と同じプロとして扱ってあげないと。
(そんなこと言ったって、お金とって授業するわけだから、新人にいきなり全て任せるわけにはいかないんです!)
それは、実際やらせてみて、生徒の評価や成績を見てからでも決して遅くはないと思います。
企業のほうがよっぽど新人にいろいろな仕事を任せてますよ、実際。一日も早く仕事を通して学んで、戦力になってもらわなきゃ困りますから!
だから、教務主任の先生やベテラン先生が、新人先生のやり方を事前に何度もチェックして正そうとするのは、ものすごくもったいない行為だと思います。新人先生が自らの失敗で学ぶチャンスをみすみす摘み取ってしまうわけですから。
しかも、教務主任の先生がOKを出す教案・教材って、自分自身じゃなくてその教務主任の先生が見てOKということですよね? でも、結局それって、「お師匠さんの言うとおりにやりなさい」という家元制度みたいなものだと思いますよ。で、それをあまりに押し付け続けていると新人先生の創意工夫も無限の伸びしろも全部台無しにしてしまう可能性があります。
だから、教務主任の先生、またはこの道のベテランと言われる先生へ。
新人先生がちゃんとできるのかどうか心配だったら、教官のように減点法でチェックするんじゃなくて、ご自身の教案・教材・授業を惜しげもなく公開して、新人先生自身で学べる環境を提供するよう、お願いします!
これで、新人先生の縮み思考もなくなり、余計なストレスもなくなり、スポンジのようにいい部分を吸収しつつ、自分で組み立てた自分の授業での失敗を通して学び、ぐんぐん成長することができます。そして、生徒も先生もみんなハッピーになれますよ!
追記: ぼくは今でもよく授業中に小さな失敗をします。でもその失敗は必ず授業のコマの中で回収できます。それがわかるようになることも、経験なんですよね。
じゃ、またーー。