板書しない授業も、アリじゃないですか。

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さて、まずソボクな疑問から。

授業で板書、本当に必要ですか。しなくてもいいんじゃないですか。

一体、何を書くんでしょう? 文型の説明ですか? 例文ですか? 語彙ですか? 細かい文法の説明ですか?

全部、教科書やサブテキストに載っているものです。(※ぼくは、文法の説明や、語彙・会話の翻訳版を「事前に」学習者に全て、渡してしまっています)。

だから、学習者は何か分からない時や忘れたときは、自分で探すことができますし、逆に授業でそれを学習者に楽しんでもらうことだって、できます。

そうやって、自分の持っているマテリアルにどんな情報が載っているのか常に確認できて、見つかればまた安心します。自宅で復習するときの効率もあがります。

そもそも、書くという作業は、ものすごく時間がとられるもの。講師側も、学習者側も。

限られた授業時間、ただ黙々とノートをとっている時間は本当にもったいないと思います。特に学習者のマテリアルに載っていることをわざわざ講師が「丁寧に」板書することは、本当に時間のむだだと思います。

講師がホワイトボートに書きながら何か説明して、それを学習者が必死にノートに書く(写すとも・・・)。それで講師は授業をした気、学習者は勉強した気、になっていたんですよね、今までは。

そして、もうひとつの疑問。

・きっちりノートをとる学習者 = よくできる学習 になっているのでしょうか。

・講師が板書することで、講師の説明時間(独演)が長くなり、生徒の発話時間を奪っていませんか。

少なくとも、こういう学習者⇒

ノートには自分が気づいたところをささっとメモをして、いつも授業の流れに集中している。活動課題やこちらからの発問に素早く反応する。(前を向いているので、よく自分と目が合います;))

のほうが、パフォーマンスが良くありませんか?

かえって、ノート書きに集中するあまり、講師の言っていることを聞いてなかったり、積極的に発話しなかったりして、結局あまり伸びないという学習者を多く見かけませんか?

家での独習ではできないこと、学校の授業でしかできないことをやるから、学校に来る意味があるし、効率的に学べるのだと思います。

だったら、戦略的に講師側が書かない(板書しない)っていうのもアリなんじゃないか、と思うわけです。

伝統的な授業計画のあり方としては、当然のごとく「教案と一緒に、[板書計画]も作りましょう」っていうふうになっていると思います。(参考記事:  ソボクな疑問: 細かい教案って、ほんとに必要なのでしょうか。

でも、それは、[講師が何かを説明する授業]が前提になっているわけですから、反転授業のやり方をとった途端に不要になるかと思います。またもし仮に、何か図示したいときは、それをパワポにしておけばそれを映すだけでいいですし、何か学習者の質問に答えるときに「絵を描いた(図解した)ほうがいいな」と思ったら、その場でただホワイトボートに描けばいいのです。つまり、板書計画に基づく板書じゃなくて、即興のいたずら書き(doodle) ですね。

つまり、ホワイトボードをみんなが見える共有デスクトップとして位置付けて、タッチペンで描くdoodleのように、サブツールとして板書を楽しんでしまうというものです。

それでも、こうやって情報を整理すると分かりやすい、ということがいくつかあるかと思います。講師なりに頭の中でクリアに整理できたこと。複雑さや曖昧さを回避できて、理解しやすく図示できたもの。・・・もしそれがあるなら、それも学習者に事前に渡してしまってもよいのでは、と思っています。

その<板書するはずだったハンドアウト>を基に、内容についてQ&Aすれば、またそこでインタラクションが生まれます。

教壇・板書、という<「業」を「授」ける>従来型の授業スタイルを敢えて採らないことで、学習者・講師の心持ちにも変化が起き、何か新しいクラスルームが生まれそうな予感さえするのです。じゃ、またーー。

2件のコメント

  1. […] 2.  ⇒ 前にも書いたけど、板書を前提にする授業なんてろくなもんじゃないよ。そもそも書く内容なんて決まってるんだったら事前に渡しちゃえばいいんだし。それじゃいつまでたっても先生→生徒  1:n のスクール型授業は変わらないよ。ホワイトボードを、情報をみんなで共有するためのらくがき(doodle ※最近この言葉が気に入ってる) 板 として捉えてみたら、字よりもむしろ 絵がうまい人のほうがいいんじゃないかな? […]

  2. […] 2.日本語教師は板書が多いので、読みやすい字かどうか確認したい。 ⇒ 板書を前提にする授業が果たしていいものなのかどうか。何かを分かりやすく説明するときにツールとしてホワイトボードを使うと考えたら、字よりもむしろ絵がうまい人のほうがいいのではないでしょうか。(参考記事:板書しない授業も、アリじゃないですか。) […]

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