できる生徒はいつも「考えながら」勉強している

同じ時期に日本語ゼロの状態、つまり「ひらがな」から始めた9人のクラスで、同じ時間量の授業、同じ教材、同じ講師(=自分)で勉強していても、どうしても生徒間で日本語習得度に差が出てしまう。

語学に対するセンスの差、だけで片付けたくないし、また地頭が違うからといってしまうと、そこから何も解決できなくなってしまう。さらにできる生徒とできない生徒の自宅学習量は、ほぼ変わらず、その観点からも説明できない。

そこで9人のクラスの中で突出してできる生徒2人の授業のときの様子をつぶさに観察してみた。

できる生徒はいつも何か「考えている」

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わかったことは、ぼくの話を聞くとき、何か練習問題を解くとき、活動タスクに取り組むとき、その「できる生徒2人」は【いつも何か考えている】ということ。本当に文字通り。

<<何のために日本語を勉強しているのか、今何を勉強しているのか、どうしてこれがこうなるのか、もしこうしたらこうなるのか、これは根本的にこういうことなのだろうか>> と頭の中で考えているだろう熱量オーラ(聞こえるわけではないので、実際は分かりませんが;)が表情に色濃く出てる。

どういうことかというと、物事に対する吸収意欲が半端ない。インプットからくる情報を自分フレームで理解するための落とし込み欲というか。話を聞いているときの目線、タスクシートや教科書を読んでいるときの目線がそもそも違う。自分言語へコンパイルしている感じ。

だから、(これは本当に大事なんだけど)すぐさまノートを取らない。いつまでも丁寧にノートに何かを書き写すなんていうことを全くやらない。言うなれば、ささっとメモする感じ。

ぼくが何か話しながらホワイトボードになぐり書きしたことなんて、補助情報でしかなくて、メインの情報を共有するために大きな共有デスクトップを使っているだけ。

要は、今学んでいること、起こっていることを自分フレームで理解しておくことのほうがプライオリティ高い。だから、理解努力⇒ ささっとメモ、という流れになる。

ここの「理解努力」をすっ飛ばしてひたすらノートを取ろうとする生徒はやっぱりパフォーマンスが低迷している。

考えている生徒のほうが、反応が早い

きっと脳の真ん中の働き具合が全然違うんだろうなと思う。何か見たり読んだり聞いたりしている間、できる生徒= 脳内CPUがぎゅんぎゅん回っている できない生徒= 脳内がハンモックでうつらうつら昼寝している、という感じなんだろうな。

で、さらにできる生徒は、アンテナを外にピン!と張っているから、全てに対して反応が早い。いつも考えているっていうのは、脳が外界と交信しようとしている状態なのだろうか。

この勉強アティチュードをクラス内で標準化するのはかなり難しい

でも、じゃみんなそういう風にすればいいじゃん!ってクラス内展開するのは不可能に近い。「勉強の仕方を教えましょう」って言っても、それは大人になるまで自分で半ば無意識に身につけてきたことだから、説明されてもできないだろう。

ただ、ぼくは、生徒同士の「教え合い」の時間はちゃんと確保している。宿題にしても、テスト結果にしても、必ずペアや3人チームになってもらって、「どうしてこの助詞を選んだのか」「どうやってこの文を組み立てたのか」を生徒同士で母語で話し合ってもらう。

そこで生徒自身で気づきを得たり、分かっている生徒が分からない生徒に教えることでお互いより伸びていく。講師側が教えようとすると、アティチュードが途端に受身になりがち。特に自分はネイティブ講師だから、よりその傾向が強い。

パフォーマンスが良くない生徒を底上げしていく取り組みは本当に永遠の課題。でも、クラスルームスタイルの授業ではどうしても生徒間で結構大きな差が出てきてしまう。現時点で成功している唯一のソリューションは、できる生徒がインフルエンサーとなり、教え合いによってじわじわと差を縮めていくというもの。

来年2018年は、絶対にパーソナライズへ踏み出す。クラスルームでありながら、パーソナライズされた学びというスタイルを必ず実行させる。

 

 

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