無資格だった自分が、プロの日本語教師を打ち負かした話 <Please Come back! 編>

前回からの続き>

(プライベートレッスンじゃないの?? 一体何人受けるの??? こんなの、聞いてないよ・・) と思うも、間髪入れず握手をしながら挨拶をしてくるオーストラリア人たち。さすが法律事務所、なんか街のそこら辺のオージー達とは全然雰囲気が違う・・。

とはいっても、状況に応じて、なんとかレッスンをやらなきゃいけません。そこは、百戦錬磨の元ビジネスマン。スモールトークをしながら頭の中でレッスンを組み立てていきます。

そうこうしていると、Bさんが、「ああ、そうそう、メルボルンとシドニーからも受ける人がいるから、ちょっとTV会議をつなぎますね」

「・・・」

(まだ、参加者がいるんですね・・、TV会議ですね・・)

もう、ここまで来たら、腹を括って、とにかくやるだけです。結局、チュータリングの参加者はTV会議の向こうの人たちも含めて、合計7人となりました。

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■ 参加者の高い日本語のレベル + ビジネス日本語特化によって、却って開き直れた

オーストラリアの法律事務所の社員で?と自分の思い込みが軽く吹き飛んでしまうほど、参加者の日本語レベルは高かったです。駐在で日本に住んだことがあったり、生まれてから小学校まで日本で暮らしたことがあったり、日本人とニュージーランド人のハーフだったり。一人の女性は、JLPT N1を持っていて、文法にも詳しいようでした。

でも、そこは言語フォーマット=日本語。簡単な会話を通じて、ぼくの話す普通の日本語をほぼ問題なく理解している、ということが分かったので、「ナチュラルにやれる!」と気持ち的にかなりリラックスできました。何と言っても、参加者が求めているビジネス日本語を、この場で誰よりも知っているネイティブスピーカーであるという自負が自分のふるまいをしっかりと支えました。

BJT(Business Japanese Proficiency Test)のテキストを使って、リスニングチャレンジ、そして語彙、フレーズの学習。語彙は特に「言い換え(パラフレージング)」のエクササイズ。たくさん例文も作ってもらい、またペアでショート・スキットをやってもらい、状況の中で使う文として自然かどうかをみんなでチェック⇒ 講師からフィードバック、という流れを基本としました。

また、時にはトピック・ディスカッションや敬語の変換練習、会話のネタとなる日本の文化・歴史クイズなどもたくさんやりました。

中級以上のレッスンとしては特に真新しいものもないと思うのですが、とにかく語彙やフレーズを「ビジネス」にかなり特化して進めました。もし、自分にビジネスマンとしてのリアルな経験がなかったら、ここまで円滑にレッスンを進められなかったと思います。

■ 日本語教師養成講座のために、チュータリング契約終了

1時間$100という、破格のアルバイト。結局半年以上、毎週レッスンを継続し、留学生活を支える貴重な収入源となりました。

参加者もいろいろな人が参加するようになり、多地点のTV会議も、新たにパースや東京(駐在)のオーストラリア人まで広がりました。

街のカフェや図書館で、カジュアルに行う超初級のチュータリングももちろんそれはそれで楽しかったですが、襟付きのシャツを着てオフィスビルの高層階で行うビジネス日本語レッスンは、無資格チューターとしては格別の<承認欲求を満たせる>仕事だったと思います。

*****

メインの大学院のほうも苦労しながらもなんとか全てのコースのクレジットがとれ、晴れて「国際学準修士」の学位取得。そして、大学院卒業のときを迎えます。

長めの冬休みと、他の街で日本語教師養成講座(420時間)を受けるための引越し手続き・準備などもあって、この”ゴールデンジョブ” チュータリング契約も終了することになりました。

本当にぼくが教師の資格を持っていないにも関わらず、いつも歓迎ムードでよく付き合ってくれたなと思います。

そしてぼくは他の全てのチュータリングも終わらせ、荷物をまとめて、他の街へ旅発ちました。これからやっと正式に日本語教師の資格をとるのです。

■ ”Nuno先生、Please come back!”

2015-08-14 08.36.41 am

養成講座は毎日朝10:00から17:00までびっしり。内容もてんこ盛りで宿題もたくさん。バイトする時間を作るのは極めて難しい状況でした。やがて1か月が過ぎたころ、あのBさんから1本のメールを受け取りました。

”Nuno先生、お元気ですか。あれからも日本語のレッスンを続けていますが、先生があまりよくなくて、みんな参加しなくなってしまいました。Nuno先生、毎週金曜日の朝、1時間だけでいいんです。もう一度、レッスンをやってもらえませんか。Please come back and help us! – B”

早速Bさんに返信し、内容を確認してみると、

  • いいチューターが見つからなかったので、プロの日本語教師にレッスンをお願いした。
  • 出張費(交通費)の請求も含めて、授業料がとても高かった。
  • 来た教師は、20代半ばくらいの人で、企業で働いた経験がなかった。
  • ビジネス用語やフレーズを質問しても、いつも宿題として「持ち帰り」だった。
  • カリキュラム通り、教科書を使って一方的に進める授業で、とてもつまらなかった。

ということが分かりました。そして、その教師の方とは契約を打ち切ろうと思っているとのことでした。

■ 今度は自分がTV会議からレッスンを提供

そう言われて悪い気はしません。その法律事務所は、オーストラリアの主要な都市に拠点があったので、その拠点へ行き、今度はぼくがTV会議をつないで、ぼくがリモートからレッスンを行う、ということになりました。誰も知り合いがいない外国の会社の受付に行って、事情を伝え、予約された会議室に一人で入っていき、設備の電源を入れて、TV会議をつなぎ、レッスンをする、というのは何とも不思議な経験でした。

そして、無事にTV会議がつながり、懐かしい顔ぶれが画面にあらわれました。

「こんにちはー! 元気ですかー?」

2か月半ぶりに画面上からの再会です。みんな変わっていません。がんばって事前に用意した新しいコンテンツで1時間のレッスンを終えました。参加者もぼくもお互い確かな満足感を得たのを覚えています。

■ 資格を超えた価値をサービスとして提供する

この経験は、非常に大きな教訓を残しました。日本語教師の資格をとって、ベトナム、フィリピン、と2ヵ国で常勤講師として勤めている今から振り返っても、無資格で思いつくままやってたあの頃の自分は確かに滅茶苦茶だったと思います。

でも、教育をコンルティング・サービスだと考えれば、ビジネスマンとしてそれまで自分がやってきたことをちゃんと応用していたし、人それぞれ経験に基づく独自の強みがあって、それをちゃんと活かしていけばいいということを肌で感じたことは貴重な体験です。

カウンセラー、ナビゲーター、コーデネーター、ファシリテーター、コンシェルジェ、ガイド、コンサルタント、何でもいいんです。相手の要件を把握するのと同時に、自分の専門能力とも照らし合わせ、どうすれば「価値」としてサービスを提供できるのかを謙虚に考える。

資格は資格。ただの証明書。いつも「価値」を考えながら仕事をしていきたいと考えているのです。

じゃ、またーー。