喜んでやろう、テストの採点。授業のネタが掘れる、宝の山。

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ぼくたち日本語教師は、学習者の学び方を永遠に勉強し続けることを求められる語学コーチなのかもしれません。

学び方を学ぶ、ということ自体、とても人間的な作業ですし、個性にも紐づくものなので決して一つの正解があるわけじゃない。だからこそ研究のし甲斐があるのです。

普段の授業でも、どうやって話を聞いているのか、どうやって課題に取り組んでいるのか、どうしてその答えにたどり着いたのか、など生徒個人個人を観察しているだけで溢れるばかりの学びを得ることができます。

そして、その学習者の学び方を知るためのひとつの有力な機会が、テストの採点なのです。

■ 統計や傾向だけじゃなくて、「なぜ間違えたのか」まで踏み込む

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オーストラリアの英語学校でもいましたし、また今のセブの日本語学校でもいますが、先生によってはテストの採点を生徒にしてもらうというやり方をとる場合があります。

気持ちはよく分かります。特に時間に追われている場合は、採点という作業をできれば授業内で終わらせたい、しかもなるべく自分の工数を割かずに・・・。

テスト終了後、自分の答案用紙を他の生徒のものと交換して(または回収→ ランダムに再配布して)、教師は回答を読み上げたり板書したりしながら、生徒に採点してもらう。そして採点結果を報告してもらって、無事、採点作業修了。教師はそれをレポートするという流れですね。

これ、本当にもったいないと思います。

テスト結果が知りたいのは”学校”と”学習者”であって、教師は、それだけじゃありません。間違いの傾向、そしてもう一歩踏み込んで、「どうして間違えたのか」を把握することがとても大切だと思うのです。

なぜなら、教師が自身でそこを分析していかない限り、【貴重な】間違うプロセスの学びの機会を逸してしまう可能性が大きいからなのです。

もし学習者に採点を任せてしまった場合、学習者は単純にテスト結果がパスしたかどうか、他のクラスメートの結果はどうたったのか、正しい答えは何だったのかなど、に思考が集中してしまい、そこから教師が分析を試みようとしても、完全な受身になってしまいます。学習者に「あ、先生、大丈夫です。もう分かりました。」と言われたらそこで分析をやめてしまうかもしれません。

■ 採点 = 宝の山

採点は、ある意味、学習者の思考マップとの対話です。制限時間内で学習者がその答えを選んだ(書いた)思考過程を投影して、教師はその学習者をより深く知ることができます。

複数の学習者が同じ間違いをしたところを発見すれば、それは「間違い傾向」として、授業や練習ドリル、活動タスクなどにフィードバックさせることができますし、もし以前のクラスとの比較で傾向が分かった場合、もしかしたら自分の説明や授業の組み立てが良くなかった可能性もあります。

また、授業の中では、教師が「問題なく、理解できた」と思っていたことが実はまだ学習者の中で消化・定着できていないということも把握できますし、よくできる学習者でもその個人の中にある間違い傾向などを見つけられることもあります。

本当に宝の山なのです。

対応が急務だと感じた場合は、授業の予定を変更してすぐさまその問題を修復するための練習やグループワークを用意することもあります。すなわち、教師自身が学習者毎の細かい理解度を把握することで、新鮮なネタで授業をアップデートすることができるわけです。

■ 理解度が低いまま、淡々とカリキュラムを進めない

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採点終了後、結果を学習者に配布するわけですが、その後、必ずやってもらうことがあります。

2-3人のグループで、「なぜ間違ったのか、なぜこの答えが正しいのか」を”母語で”話し合ってもらうことです。

正しい答えは教師側が書き込んであるので、学習者はそこに執着しません。そして教師側もなぜ間違ったのかの仮説が頭の中にあるので、教室を回りながら、そこを学習者たちが話し合っているかどうかを観察します。(セブ島の母語はビサヤ語ですが、学習者同士が教え合ったりしている会話は、なんとなく分かるものです。)

そして、ここはぐっとこらえて、学習者たちが納得するまで時間をとってあげることにしています。なぜなら、

  • 理解が浅いまま先に進むと、負債が雪だるまになって余計分からなくなる
  • 理解している学習者が他の学習者に母語で説明している時間も貴重な学びのひとつ

だからです。それでも明快な結論が出ない場合は、「先生ーー!」と必ず声をかけてきます。その質問の質や内容を聞いて、教師側もさらに理解度を知ることができますし、また究極の部分でちゃんと教師が分かりやすい説明をして学習者が理解できた場合、信頼関係がより厚くなります。

ですから、ぼくは、たとえ他の時間を削ってでも、テストの採点はじっくり自分でやりますし、採点後の学習者同士のグループワークの時間もきちんと確保できるようにいつも調整しています。

■ テストの受講や採点が完全にデジタル化されたら、もっと間違い分析にフォーカスできる

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いずれ近い将来、このテストも完全にデジタル化されると思います(参考エントリ: 初夢2018 – 海外日本語学習の近未来)。そうしたら、採点の「作業」そのものが教師の手を離れるので、もっと楽に分析作業に集中できると思います。

テストのスコアやミスした設問、間違い傾向などは、勿論ビジュアルにモニタリング可能で、追加ドリルなどもどんどんAIが生成していくと思いますが、教師はそこに満足するだけでなく、やっぱり「どうしてこの学習者はここで間違ったのか」の探求を続けなければいけないと思います。

教師の作業がITに吸収されて、結果がすぐにビジュアルに統計的に見えるようになるからこそ、「学習者の学び方を学ぶ」という習慣とマインドセットがますます重要になるんじゃないかなと日々感じています。

明日も定期テストがあります。採点がほんとうに楽しみです。じゃ、またーー。

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