封印します、授業中のこのやりとり ⇒ 「わかりましたか?」 “はい。”

昨日、こんなツイートをしました。

いわゆる教室用語で設定されていて、かつ(教師が怠惰/受身でいられるというネガティブな意味で・・)使い勝手のいい言葉のため、ついつい言ってしまいます。

「皆さん、わかりましたか?」 - “・・はい。・・わかりました・・。”

考えてみれば、なんて意味のないやりとりなんでしょう。また、あまりにも機械的、定型的な挨拶と化していて、本当にわかったかどうかなんて、「はい」の返答だけで確認することなんてできません。

例えて言えば、英語が分からない日本人が外国人に笑顔で「※△◎◇/&$#@%?」と聞かれたときに、思わず「イエース、イェーース」なんて言ってしまうのとほとんど同じ構造だと思われます。

■ なぜ教師は 「わかりましたか?」 と聞いてしまうのか

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じゃ、わたしたち教師が、なぜ 「わかりましたか?」と聞いてしまうのか、それは未だに講義(説明)中心に授業が組み立てられているからなのでは、と思っています。

自分には教案がある、いい導入や説明も準備した、いい例文も練った、活動も板書計画もばっちり、さあ、挨拶して(「皆さん、こんにちは~、元気ですか~?」)、準備したとおりにやろうー! 教壇から順序良く繰り出していこう、まず・・そして・・説明・・板書・・コーラス・・ (「いいですね~」)、さて・・・

T: 「わかりましたか~?」 S: 「はーい」

T:OK、じゃ、練習しましょう・・・

例えばこんな感じで、 「わかりましたか?」 が使われているかもしれません。でも、「はーい」と答える生徒の中にはもちろん<分かっていない>生徒がいるんです。だから、同じ説明、同じ練習をしていても、理解度に濃淡の差がつくわけです。

にも拘わらず、つい 「わかりましたか?」 と聞いてしまうクセ。これはつまり、「教壇」から、自分の準備した説明をして(with ある程度の自己満足、きっとこれでわかってくれたに違いない)⇒(とりあえず確認してみよう)という流れが何かしらあるのだと思います。

でも、言い換えると、「教壇」から自分のやるべきことはやった、あとはちゃんと受け止めてね、それからちゃんと復習もしてね、という【上流から知識を流し込む】という固定観念が未だに教師を支配しているということではないでしょうか。

だから、「わかりましたか?」 という問いかけにつながると思うのです。

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■ わたしたち講師がするべき、もうひと工夫

ぼく自身も、ツイートしたとおり、ついつい言ってしまうことがあります。楽だからです。でもその楽をするところをぐっとこらえて、ひと工夫すれば、この無意味な機械的儀式を避けて、学習者一人一人にもっと目を向けて理解度を確認することができます。

  • 一人一人ちゃんと表情をうかがう(当たり前中の当たり前)
  • 試しに例文を作ってもらう
  • 文型や語彙を入れ替えながら、口頭Q&Aを個別に投げかけていく

「わかりましたか?」の言葉を飲み込んで、その代わりにこれをするだけで、<本当に理解しているのかどうか>が、わかると思います。

また、ドリルなどをやってもらい、その回答の仕方や内容を見たり、ペアワークでの発言に注意深く耳を傾けたりすることによっても、講師側が自分自身の努力で理解度を把握していくことができるのです。

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例え、事前に準備をしていても、していなくても、このひと工夫の確認作業と、生徒のレスポンス・アウトプットにより関心を払い続ける努力は、これからの教師力に大きな差をもたらすと思います。

ですから、結局は、講義中心の授業組み立てから卒業して、講師も生徒と一体になってピアティーチングをサポートする時代に向かっているのだと思います。

教師は聴衆を前に壇上に立つオペラ歌手ではありません。どんどん「教壇」から降りていき、1:nで行われているような機械的な投げかけの挨拶 - 「わかりましたか?」 の代わりになる、意味のある個別コミュニケーションをするべきです。

ということで、来週から、もう“わかりましたか?” を封印します。もっともっと生徒に手応えのある授業フレームワークを考えていきたいと思います。

じゃ、またーー。

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