さあ、発音について考えてみよう

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今、語学教師として、そしてかねてからの語学学習者として改めて思います。

ほんとうに「発音」って大事だな、と。

簡単なコミュニケーションなのに、発音に問題があって会話が成立しないときの絶望感、、、。誰もが経験あることと思います。

大学の卒業旅行で友人2人とアメリカ横断したとき、ある朝、ニューヨークのバーガーキングに入りました。(当時は3人とも英語がそこまで得意ではなく、毎日苦労の連続でした。)

メニューの中にフィッシュバーガーらしきものがあり、商品名が「Whaler」でした。ぼくともうひとりの友人でそれを頼んだんですが、レジで何回言っても「Water? 水が欲しいの?」と言われる始末。

“おい、大学卒業するまで、一体何年間英語を勉強したんだよ、おれたち!?”って、初海外の初生英語で完敗を味わったのを思い出します。

去年の夏まで働いていたベトナムの言葉も「発音」がかなりキツかった・・・。アルファベットも「a」だけで何種類もあって、今ままでしたこともないような発音の仕方で、さらにダメ押しで「声調」も。

覚えたてのベトナム語も、何とか街で話したい、と思っていざ話してみても、自分の発音がたぶん全然なっていなくて、ベトナム人に露骨に面倒くさそうな顔をされることもありました。

■ 退屈でも、基礎の発音は喜んで習得したほうがいい

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英語も結局はアルファベットと組み合わせ音をきちんと発音できるか、にかかっているんですよね。ここをクリアしないと、永遠に彼らのくちゃくちゃした早口についていけません。

もう10年以上前に一生懸命勉強した中国語も、最初の3か月は発音の練習しかしてなかったような気がします。

本当に、きちんと発音(しようと)することって(※なぜなら完璧には真似できないから)、野球で言うキャッチボールや素振りのようなコアの基礎動作なんです。

確かにだんだん退屈になってきます。もっとフレーズを覚えたり、会話したりしたいのに、っていう衝動を抑えて、口の筋肉を疲れさせながら、しかも先生に「んー、違う、違う」ってダメ出しされながら、ひたすらアー、ウー、チュアンって続けるのも強い意志とメンタルが必要だと思います。でもそこを乗り越えないと本当の初級にさえ行けないから、未来の希望を糧に、やるしかないんです。

■ 日本語の発音は・・?

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さて、じゃ、日本語の発音は、というと、他言語に比べて相対的に<簡単>だと思います。

なせなら、

  • 母音が5つしかない
  • 全ての子音に母音がつく(「ん」除く)
  • 声調がない
  • アクセント(強弱)がない

からです。発音面ではとても学びやすい、恵まれた言語だと思っています。

確かに、促音(っ)と拗音(ちゃ・ちゅ・ちょなど)そして長音を含めた拍感覚を性格に掴むのはなかなか簡単ではありませんが、それでも発音そのものは早期に身につけることができると思います。

たった5つの母音「あいうえお」ができてしまえば、発音観点からは応用で50音+を広げていくことができます。(ちなみにセブの人たちは、母語のビサヤ語の影響から、「い」と「え」、「う」と「お」の音がほとんど同じになってしまうという傾向があり、ここは修正が結構大変です。)

あとは、初級が進むにつれ、クリティカルなイントネーション(例: そうですか<アガル>? そうですか<サガル>。のニュアンスの違い など)をきちんとおさえていけば、発音そのものでそんなに苦労することはほとんどないと言えます。

■ 第二言語としての日本語の発音をどこまで厳しく指導するべきか

発音の指導となると、日本語教師でもその厳しさの度合いについては、人それぞれ異なると思います。正確性にこだわる先生は、本当に厳しい。すごく時間を取ってやるし、何度も何度も修正する。

特に「日本人と同じように発音できなきゃだめだ」と思っている先生の場合はことさら厳しい。Speaking Testでも発音が美しくないと、すぐに減点したりもします。

ぼくの場合は、「最低限伝わればいい」と思っているので、伝わらないときにしか指導しません。のびのびと自由に口を動かしてもらっています。

というのも、考え方がまるで逆で、世界にいろいろなバージョンの日本語を生み出して流通させたほうがオモシロイと思っているからです。

■ 日本語のプラットフォーム化

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すっかり国際語として定着した英語は、公用語、準公用語などで使われる国によって様々なアクセントが存在していて、かつそれがお互いに認知されています。

お互いコミュニケーションできるから、別にそれでいいわけです。アメリカ人はシンガポール人のアクセントを直したりしませんし、カナダ人もインド人の英語を直したりしません。

プロトコルが合っていればいいという割り切りです。完全にプラットフォーム化していると言えます。

ぼくが日本語で実現したいのは、この部分です。語彙と文法というプロトコルが備わっていれば、別に母語の影響を受けたアクセントがあってもいいんじゃないか、と。かえってそのほうが日本語も国際色豊かになっていいんじゃないか、と。

世界各国に地域特有の日本語アクセントがあることを許容していったほうが、学習者や非ネイティブ講師それぞれの心理的負担も減りますし、ネイティブスピーカーとしての日本人のマインドセットも少しずつオープンな方向へ向いていくと思われます。

AndroidやChrome OSがいろいろなメーカーのOSプラットフォームとして使われて広がったように、日本語が各国の母語の特徴を反映したアクセントを保持しながらプラットフォームとしてインストールされていったら国際語としての広がりももっと加速するんじゃないかなと考えたりしています。じゃ、またーー。

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