日本語教師の悩み – 先輩教師との教授法の違い?

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日曜日の午後。たまたまネットサーフィンをしていたら、このようなサイトを見つけました。日本語教師にはいろいろな悩みがありますが、そのひとつとして・・・。

日本語教師になりたてのひとが悩むことのひとつに、先輩の日本語教師との教授法の違いについての指摘があります。

生徒は正直ですので、ほかの日本語教師と教え方が違う場合、「A先生は違った風に教えていました」「B先生はそんな教え方はしていません」のように、ほかの教師と比較した評価を下すことが少なくありません。

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なるほど。なんとなく察します。複数の教師が入れ代わり立ち代わりコマ毎に変わる日本語学校では特によく起こることなのではないでしょうか。さらに自分が新人で先輩教師がかなりの実力者の場合、その差が生徒に伝わってしまうこともあるのでしょうね。

教師は一人一人自分が積み重ねた経験から裏打ちされる自分のスタイルがあって、いつも考えながら/工夫しながら授業をしている教師であればその積み重ねは確実にプラスに蓄積されているので、生徒と向き合ったときに「場」を作れる強さを持っているんですよね。

でも、どんな新人教師でも、その時点で自分が持っているスキルとパーソナリティで、既に自分のスタイルというものがあるはずなんです。(参考記事:  [感想] >> 新米日本語教師必読!自分の授業スタイル確立への近道

■ どうして教授法について悩むのか

先輩教師との教授法の違いで悩んでしまう理由は簡単で、「教師自身が自分の教え方を信じていない。自信を持っていない。」ことに尽きると思います。準備不足、知識不足、力量不足、経験不足などからくる自信のなさがもろに授業に出ているだけだと思います。

自分なりによく考えて教室に入って生徒と向き合ったら、たとえやせ我慢してでも決して不安さを見せてはいけないと思います。生徒はその辺がとても敏感です。経験があろうがなかろうが堂々と振る舞い、生徒のことをよく観察しながら、自分が信じているスタイルでやってみることです。まずここが一番大事だと思います。

それでも、生徒から教え方の違いを指摘されたらどうするか。

「どんなふうに違う?」「どっちがいい?」「どうして?」と素直に聞いてみてはどうでしょうか。

教師によって教え方が違うというのは生徒も理解はできるはずです。にもかかわらず、わざわざ違いを指摘されるというのは、「受け入れられなかった」ということです。教え方が違っても、そこそこ楽しく学べて、何かを身につけたということを実感できれば、別に不満など漏らさないはずです。

もし準備不足やクラスマネジメントの不備などがなかったのであれば、何かがフィットしなかったというだけです。そんなに深刻になることもないと思います。

いろいろなバックグラウンドの生徒がいるわけですから。生徒と何でもざっくばらんに話せる良好な人間関係、信頼関係を作って、むしろ「一緒にいい授業を組み立てていく」ことだって可能なはずです。その先輩教師よりももっともっといい授業を作ろうと決めて工夫を重ねていけば、また一歩自分も成長できるはずなのです。

■ 教授法を人と比べてもしょうがない

先輩教師からはもちろん学ぶことはあるでしょう。でも全く同じようにはできないのです。いいところを盗みつつ、自分の世界観に昇華させて日々改善していくしかないのです。

そこで自分に問いかけてみます。「先輩教師がまだやっていなくて、自分がやれる(やりたい)新しいことは何か?」。

それを授業で試してみるのです。むしろ違うことを際立たせて自分の強みにしていくという考え方です。そこにはただひたすら先輩教師のやり方をなぞっていく授業スタイルはありません。より生徒の学びを効果的に加速できる、自分にしかできないことを開発してこそ、「教授法の違い」という呪縛を乗り越えられるのだと思います。

もしそれが功を奏して生徒の学びにプラスになるものであれば、今度は逆に先輩教師の方が生徒に「あの先生の新しいやり方がいいんですが、やってもらえませんか」と主張されるかもしれません。

■ 温故知新。新しいことを模索し続けるのみ。

今、読んでいる本のひとつに「新編 教えるということ (大村はま 著)」があります。著者は1947年に旧制中学の国語の先生になった人ですから、何世代も前の教師です。でも内容は金言に満ち溢れています。付箋と蛍光ペンで一杯になりました。本当に読んでみてよかったです。

その本の中にこんな一節がありました。

だいたい教壇に立つと、自分の教わった教師のやり方を、知らない間に踏襲するものだそうですから、ご用心ご用心です。(中略)あなたがたの先生がどんなに偉い方であっても、すでに過去の人なのです。あなたがたは新しい時代を開くその子どもをつくる人なのです。ですから先輩の先生がたのやり方をそのままやってよいわけはありません

新編 教えるということ (大村はま 著)」P.43-44

元気が出ませんか?

まさに温故知新。何も気後れする必要はありません。先輩教師と教授法が違う。違って当然。ですから、いいところを学び受け継ぎつつ、自分が情熱を持てる新しい+何か を日々見つけて実践していきたいと思うわけです。じゃ、またーー。

 

2件のコメント

  1. 結局のところ、現在、自分の持っている知識以上のものを教室で披露することは出来ないのが辛いところです。教える立場になったとたん、日頃、自分が何不自由なく使っている言語に苦しまされるなんて皮肉ですよね。

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    • コメントありがとうございます。そうですよね。例えば、英語母語の先生が日本人に英語を教えるときに、全く同じ思いをするのかもしれませんね。やはり、学生(日本語を学ぶ側)は一様ではないので、いかに教師も学生も含めた「教室全体で」解決したり進んでいったりすることなんじゃないか、と思っています。

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