育てたい能力の「頭のはたらき」を刺激する、効果的な授業を考えよう

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きっかけは、今、一時的にマンツーマンで教えている一人の生徒でした。

セブの大学卒で20代半ばの彼女が日本語を勉強し始めたのは、僅か5か月前。最初は文法や語彙などあまり深く考えず、すぐに(安易に)勘に頼ってしまうという傾向があって、理解と定着に大変苦労しました。でも今では初級後半のレベルに入り、そこそこのパフォーマンスを出すようになりました。

(参考記事>> 考えることを途中でやめてしまうフィリピン人学習者の「根っこ」にあるもの

だんだんとスキルが安定してくる中で、彼女が苦労していることが「論理思考」。動詞の活用や語彙、文型はそれなりに定着できているものの、例えば<会話文で文脈から正しい応答を選んだり、意味の通る前件・後件の文を作ったりすること>が本当に苦手。

勿論、読解は超苦手。あれだけ耳が良くて、文法もそこそこ身についてある程度話せるようになったのに、どうして文脈を理解できないのだろう・・・と。

短絡的に言えば、「読解の練習そのものが足りないのだ」ということになるかもしれませんが、どうもなんか違和感がありました。

果たして、<日本語の読解練習だけ続けていて、論理思考そのものが身に付くのだろうか>と。

■ 母語でできないことは、外国語でもできない

読解力、読解力・・・。どうして違和感を感じたかというと、日本語の読解力養成を突き詰めていくと、「国語」の授業になってしまうからです。外国語としての『日本語』と国民教育(義務教育)としての「国語」はやっぱり目的も手法も全然違うと思うのです。

例え接点や交差する部分はあっても、あまりに「国語」の手法を『日本語』に取り入れて外国人に適用するというのもちょっと違うよなと日ごろから思っていたわけです。

そんなときに、あるWebサイトでこんな記事を見つけました。

母語でできないことは、通常、外国語ではできません。母語で高度な文章を読めない人は、日本語でそれを読むことはかなり難しいと思います。

Vol.27 いろは対談 「日本語教育と国語教育」 前篇(2013年11月)

そうか、やっぱり・・・。日本語能力の問題はあるにしても、根っこの部分は母語にも存在するはずなんですね。

例えば、母語の読書量に関係があったり、母語での論理的思考の錬成が不十分だったり、母語の情報をただ<スキャンするように>読むだけだったり・・・。

言葉は論理を持って、より伝わりやすくなるはずなので、ここをもっと鍛えていかなければならない、と。まず礎としてのロジック(文脈)とイメージがあれば、日本語の部分は「外国語」として文型・語彙のストックの中から的確なものを使って、文法に沿って表現することなので、それはそれでやればいい。

だから、大元の論理的思考を刺激する取り組みを授業の中にもっと入れた方がいいのではないかと思ったのです。でも、どうやって?

■ 育てたい能力の「頭のはたらき」をさせる練習を考える

考えを巡らせながら、ぱらぱらと本を読んでいたら、先人が遺した講演録に、ひとつのヒントが書かれていました。

育てようとねらう力によって、対象と生徒を見つめながら、さまざまな方法を考えることができる。- 文章の組み立てということを扱う時は、頭の中は、どのようにはたらくものか- 同じ能力を育てることを、別の何かでやらせられないか、と考えることになります。 大村はま「教えるということ」 P.142-144

中学校の国語教師だった大村はまさん(2005年没)は、著書の中で、上記の能力をつけるために、単元毎の学習記録をカードに書いて分類させ、目次をつけさせる、という活動をされたと書いています。

つまり、作文をただ作文で、読解をただ読解でひたすら勉強するのではなく、「頭の働かせ方」に着目して、表向きには一見関係ないようなことに見えても、気が付いたら同じような頭の働かせ方を訓練しているという取り組みをされたということにものすごく価値があると思います。

そう考えると、いろいろな活動の工夫ができると思います。ここにこそ、つまり、

『思考を体験に変えること』= クリエイティブ な 授業

が実現できて、学習者の能力をブーストし、これからの教師の価値も出てくるのだと思います。

まずは、ぱっと今、思いつくところから、例えば、4コマまんがのセリフを消してバラバラに切った状態で、自分の思うストーリーに並べてもらい、自分なりのセリフをつけてもらう。そのストーリーを聞いて「なぜ?」と「結局どうなった?」に着目して会話する、みたいなことをやろうと思います。

まだまだ発想が貧弱ですが・・・、これからも日々、この能力と同じ「頭の働かせ方」をする仕事は何だろう、と考え続け、総合的に日本語の能力を伸ばす新しいやり方を見つけていきたいと思っています。

- ことばを、ただ「ことば」だけにこだわって授業を作ってしまうと、「国語」の授業になってしまう・・・  常々感じていた違和感。

視点を変えてみて、多角的に効果的な授業を考える、いいきっかけになりました。

じゃ、またーー。

 

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