JLPT - この試験で測る「日本語能力」とは何だろう?

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こんばんは。今日は2018年7月1日、日曜日。国際交流基金さんのお手伝いで、フィリピン、セブ会場でのJLPT (日本語能力試験)の試験監督をしてきました。

フィリピンではここ数年JLPT受験者が急増していて、最も受験者が多いマニラ、次に多いダバオに続いてセブは3番目の規模。さらに今年からはルソン島中部のラグーナ州でもJLPT試験が受けられるようになったとのことです。

多くは日本への短期出稼ぎ(技能実習生や留学生)が盛んになってきたことが要因かと思いますが、フィリピン在住の日本語講師としては素直にいいモメンタム(勢いのある兆候)だと思っています。

特に今日、会場で会うフィリピン人受験者の方々の顔ぶれを見ていると、みんな若くて元気で、ぼくが日本人のJLPT関係者だとわかると「こんにちは~」と声をかけてきたりして・・。

全く緊張してないところもフィリピン人らしいなと思ったりしつつ、日本語学習熱という空気をひしひしと感じるのでした。

(実際は、フィリピンの若者は実は韓国語のほうに興味ある人たちがほとんど。でも稼ぐためにNo Choiceで日本語を勉強しているという厳然たる事実があることも確かです。この辺りはまた別途書きたいと思います。)

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コミュニケーション能力を測る試験とは?

さてJLPT 日本語能力試験。1級~4級というレベル設定からN1 – N5 というレベル分け(N3の新設:英検準2級のようなもの)に変わったのが2010年のこと。でも根本的な試験の形式は変わっていません。

① 言語知識(文字・語彙・文法) ② 読解 ③ 聴解、この3つ。そしてすべてマークシート。最後の聴解試験が終わるまで受験者はひたすら沈黙を続けながらマークシートを塗りつぶしていく・・・。

今日、半日、JLPTの試験監督をやってみて、正直、苦い後味として残ってしまったのがまさにこの部分です。

《ずっと黙ったままマークシートの正解数で測れる【語学の能力】って一体何なのだろう》と。

海外を中心に様々な教育現場で反転授業が注目され、日本でもアクティブラーニングやCLILの取り組みが行われ、ヨーロッパで行動中心アプローチのCEFRが提唱され、日本の大学入試の英語も2020年からスピーキングテストが取り入れられるなど、ようやく変わろうとしている中、ただ静かに机に向かってマークシートを塗りつぶして、語学能力を測ろうとするJLPT試験とは・・・。

そう、そこには生きた《コミュニケーション》が大きく欠落しているのです。というか、そもそも語学はコミュニケーションの達成のためにあるのでは??

口を閉ざしたまま4択クイズに答えていって測れるのは「知識」だけなのでは? ⇒ だから、いみじくもカテゴリーに《言語知識》と書かれているわけです。

でも、そこでJLPTの公式サイトを見てみると、こういうことが書かれています。

https://www.jlpt.jp/samples/forteachers.html

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コミュニケーション能力をより重視した・・・、そして、

sin JLPT2

う~ん・・どうなんでしょうか。実際授業でコミュニケーション能力を測ろうとするときも、日本語教師の方々は、この3つの科目のような感じでチェックするものなのでしょうか。

例えば、英検は? 2次試験で面接があります。TOEICもTOEFLも、そしてぼくがオーストラリアで受けたIELTSもスピーキングとライティングのテストがあります。つまり、英語という語学に目を向けた場合、その能力を測るものさしとして必然的に《スピーキングとライティング》という【アウトプット力】が試験として設定されているわけです。

そしてもちろん、わたしたち日本語教師も発話力や応答力、文章作成力でコミュニケーションの能力を測っているはずなのです。

JLPTのレベルと実際の能力のギャップ

今日、今も残っている苦い後味は、結局今のJLPTでは実際に日本語の《コミュニケーション能力》を測ることができないだろうというもどかしさからきています。そしてあまりにも大きい、普段目指している理想の授業との乖離。

現地の日系企業や日本語の需要がある仕事、日本国内のビジネス、生活するための「日本語コミュニティ」、そしてもちろん日本語を使用する高等教育など実用性が求められる環境ほど、よりコミュニケーション力に価値が置かれると思います。

ただ現実、日本語能力を測る標準がJLPTしかない中、JLPTのレベルだけで日本語学習者を見た場合、求められる能力と実際に発揮できる能力とのギャップがあり続けるという状態になってしまいます。

なぜなら実際のコミュニケーションでは、マークシートの4択塗りつぶしで達成できる世界ではないからです。多数の日本語学習者の勉強の方向性と多大な時間がJLPT対策のために《黙ったまま問題集を解いていく》ことだけに費やされるのも非常にもったいないことです。

自分で作ってしまおう。まずはフィリピンで。

JLPT試験を提供する方も、受ける方も、またJLPT対策を授業で行っている講師の方々も、ただ黙々とこのJLPTフォーマットの試験を受け入れているだけなのでしょうか。

いや、そんなことはないと思います。実際、必要性は感じているものの、大きな改革をするのにいろいろな調整事にものすごく膨大な時間がかかってしまう日本という環境がブレーキをかけてしまっているのだと思います。

だったらもう、いっそこのこと、自分で作ってしまおうかなと思っています! まだおぼろげですが、こんなフォーマットで《コミュニケーション力を測るスタンダード》が作れるのではというアイデアが頭の中にあります。

英検やTOEICでできて、日本語能力試験でできないということはないと思います。

まずはセブ、そしてフィリピンで、JLPTに+アドオンする形でプログラム化できたらと思っています。こういう、未来へ向けてのトライアルこそ、日本語教師としてのやりがいでもあります。じゃ、またーー。

 

4件のコメント

  1. わたしも日本語教師をしていますが、以前は、1級に合格したものの、しゃべれない、会話ができないという人をたくさん見てきました。今は少なくなりましたが、まだまだ会話能力を重視しているとは思えません。JLPTへの疑問、同感です。

  2. コメント、ありがとうございます。まさにそのとおりだと思います。日本語学習者の勉強時間の多くの部分をJLPT対策に吸われてしまうことに危機感を覚えています。アウトプット力強化のためのインプット、アウトプット力強化のための文法の勉強というふうに、勉強姿勢の流れを変えていけるよう、授業を常に工夫していきたいと思っています。

  3. […] その溝のこっち側と向こう側で、プロトコルが全く合わなくなってきてしまっています。ITしかり、教科書しかり、そしてJLPTしかり(参考記事: JLPT - この試験で測る「日本語能力」とは何だろう?)、むしろ合理的で効率的なやり方に変えていきましょうよという意識が、昔ながらの「非合理に見える形」でブレーキをかけられてしまっているような感じです。 […]

  4. […] その溝のこっち側と向こう側で、プロトコルが合わなくなってきている感じです。ITしかり、教科書しかり、そしてJLPTしかり(参考記事: JLPT - この試験で測る「日本語能力」とは何だろう?)、むしろ合理的で効率的なやり方に変えていきましょうよという意識が、なかなか経営サイドのあっち側に響かない。こっち側にいる人たちの主流が、まだ経験の浅い若手なだけに、その新鮮で合理的な意識の持ちようも、昔ながらの「非合理に見える形」でブレーキをかけられてしまっているような感じです。 […]

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