どうも、ぬの★セブです。
最近ここ2週間ぐらい、新人講師(フィリピン人、N2保持)の方にずっと授業見学に入ってもらっていて感じたことがあったので、今日はそのことについて書いてみたいと思います。
新人講師の方といっても、関西の日本企業で3年ほど働いていたフィリピン人の女性で、特に日本語教師になるためのトレーニングを受けたわけではありません。
ただ日本で働きながら独学でN2まで取得した実績と、実際に仕事で日本語を使っていたため活きた会話ができる実力を買われて、セブに帰国するタイミングで今の学校のオーナーが採用ししました。
そしてオーナーの指示で、ぼくの授業に【どっぷりと】浸かりながら、「現場のOJT (On the Job Training)を通じて教え方を学びなさい」というわけです。
420時間養成講座、長い道のりですが・・・
さて、実際、日本語教師になるには、一体どれくらいの準備が必要なのでしょうか。ぼくはオーストラリアで420時間養成講座を短期集中で受けたので、毎日朝から夕方まで学校に通って実質3か月。
日本だと、たとえばヒューマンアカデミーのWebサイトによると、受講期間 約1年間 (180分×109回)となっています。
いずれにしても、相当な期間を要します。外国人に日本語を教えるというのはそんな簡単なことじゃないんだよ、だから文化庁が420時間相当の研修を要件として設定しているんだよ、ということなのでしょう。
でも、敢えて疑問を呈してみたいと思います。
「本当に、【最初から】その全部の知識が必要でしょうか?」と。
ぼくが通った420時間養成講座は、午前中:理論と検定対策、午後:教科書を使った教え方の実践と模擬授業(教科書は「みんなの日本語 Ⅰ/ Ⅱ」を使用)でした。
午後の実践は本当にためになったと思います。毎週一回必ず受講生が教案・教材作成と模擬授業をしなければならないプログラムだったので、確かにかなり授業の準備の仕方、回し方の勘が鍛えられたと思います。
一方、午前中の理論(座学)の方は、微妙です。正直ほとんど記憶に残っていません。検定に必要な知識を網羅するということだったので、結構膨大な量だったと思うのですが、それはそれ。授業に直結しないものはどんどん抜けていってしまうのです。
たくさん詰め込んでから ⇒ 実践?
ここに今の日本語教育の問題点の原型をも見ることができます。つまり、《日本語を教えるなら知っておいたほうがいい、知っておくべきだ、この分野も関係する、あの分野も関係する・・》というようなものを、あれもこれも知識として全部入れてからじゃないと日本語教師になれないということです。
ひととおり全部詰め込んでからようやく実践させるということです。
従来の日本語の教え方もそうです。文型、語彙、助詞の使い方、動詞の活用など、課ごとにひととおり解説・練習してから、じゃ実際に使ってみましょう、という流れだと思います。
JLPT対策も同様。必要な語彙リスト、漢字リスト、文法知識、文型集などを洗い出して全てを網羅的に詰め込んでいくカリキュラムです。
でも本当にそうなのか。本当にこの流れがいいのか。本当に全部知識を入れてからでないと、何もできないものなのか、という問いです。
それは、今までそうやってきたから・・という思い込みだけなのかもしれないのです。
OJTで最初から実践で学んでいる、新人講師
話は戻って、新人のフィリピン人講師。もちろん、まだ2週間なので何とも言えません。でももしかしたらあと2-3週間ほどで初級の先生としてデビューできるかもしれません。なぜなら、日々のOJTで実践からリアルにエッセンスを吸収しているからです。猛スピードで。
それは、毎日の彼女とのやり取りやフィードバックからも伺い知ることができます。
ぼくは教案なしで授業をするので、彼女はどんな流れで授業が行われるのか、知りません。使おうと思っている教材を渡して簡単に説明するだけです。(といっても自分の頭の中では事前にある程度の組み立てはできていますが・・:))。
彼女は教室の後方ではなく前方、ぼくの横に座ってもらっているので、常に生徒のほうを向いて一緒に授業をしている感じになります。
そして、ぼくがある程度何かを実行し、タスクを開始した後で、すぐさま簡単にディスカッションします。
「今、なぜこれをやっているかは、〇〇だからです。どう思いますか。」
「次はどんなことをやったらいいと思いますか。ぼくだったらこうします。その理由は・・・」
「昨日の授業を覚えていますか。今、復習してみたら〇〇があまり定着していませんでしたよね。だから後でここをもういちどやろうと思います」 ・・・などです。
最初の数日はただうなずくだけでしたが、そのうちだんだん意見が出るようになってきました。特に授業の中でやることにはそれぞれ意味があるということを実感でき、しかもリアルタイムに体験しているので、より授業の疑似体験ができているということだと思います。
さらに彼女にはタスク前の実施例を実演してもらったり、ぼくとQ&Aやサンプル会話の相手をしてもらったりと、《単なる傍観者ではなく》かなりがっつりと授業に組み込ませてもらっています。アシスタントティーチャーのような感じですね。
そして全ての授業終了後、オフィスに戻ってフィードバックのためのディスカッションを行います。そして《授業に連続性があるので》翌日どんなふうに授業を進めると効果的かを考えてもらいます。
ここが重要で、今日起こったこと、わからなかったことを調べ、まとめ直し、翌日の授業のために「自分がやるとしたら、という授業プラン(シミュレーション)」を毎日続けてもらっています。つまり、必要だから、必要なことをインプットするという流れです。
実践でまず体験し、順次アップデートしていく
こうして、もしかしたら日本語教師の養成も、OJT形式が最強なのではないかと思うようになりました。まるでアシスタント美容師が、スタイリスト美容師に付いて実践で学ぶように。
実践を通じてわからないことや腑に落ちない点は自分で調べますし、「自分だったら、どうやってやりますか?」と問われればまた必死に調べ、シミュレーションし、その道筋から理論にたどり着くかもしれないのです。
穴ぼこ的理論です。アウトプットする上で、自分で感じたギャップ(穴ぼこ)を埋めるために、必要に駆られて調べたり学んだりする(インプット)という流れです。だから定着が強くなるのです。
最初から1年間ありとあらゆる知識を詰め込んで、「はい、じゃ、先生をやってください」じゃなくて、OJTを通じて最初から教えることを体験し、少しずつ実際に教え始める。あとは授業を進めていく中で《必要に駆られた知識を順次補っていく》ことでもっと伸び伸びと日本語教師の養成をサポートできるのでは、と感じています。
特に最初から長期間研修するのではなくて、OJT⇒ 実授業 ⇒ アップデート研修(6か月目) ⇒ 実授業 ⇒ アップデート研修(1年目)のような形も考えられます。
(日本は形式主義・完璧主義がまだまだ強いのでかなり難しいと思いますが、フィリピンならこれでもいけるかもしれません。)
いずれにしても、OJTはまだ続きますが、彼女のこれからがとても楽しみです。できることは何でも最大限サポートしていきたいと思っています。じゃ、またーー。