いまどうやって外国語を学ぶ?・・その地図を示してくれた水先案内人-『冒険家メソッド』大全

どうも、ぬの★セブです。

この週末、やっとまとまった時間がとれて、読みたかった本を読むことができました。今回はその本を読んで自分自身考えたことをブックレビューとして書いてみたいと思います。

↓↓↓ 読んだ本はこちらです。「もう学校も先生もいらない!? SNSで外国語をマスターする《冒険家メソッド》」村上吉文 著

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私自身、村上さんのブログ「むらログ」の愛読者でもありますので、最後まで深く共感しながら読み進めることができました。

内容はとても濃いものとなっていて、村上さんが以前から提唱されている「冒険家メソッド」にまつわる、ありとあらゆる情報が余すところなくパッケージングされた、いわば、

《冒険家メソッド大全》ともいえる内容だと思います。

またあらゆるレベルの読者が読んでも満足できる内容になっているので、冒険家メソッドFAQとしても常時参照できるかと思います。語り口も、むらログと同様、穏やかでとても読みやすい本でした。

冒険を後押ししてくれる書

本が届いてたまたま終章から開いたこともあり、まず目に留まったのがこの言葉です。

冒険は、それ自体に価値があります。(p.249)

そう、ほんとうにそのとおりだと思うのです。冒険(=自分自身で外国語の勉強を続けていくこと)から得られる経験値こそ、本当の学びの体験でもあり喜びでもあると・・・。

学校のテストの成績でもなければ、JLPTに早く合格することでもない。たとえいい点数が取れなかったとしても、自分なりに「楽しい」と思える学び方を見つけて、ずっと勉強を続けていけるのであれば、長い外国語学習から見ればそれこそ価値のあることだと思うのです。

学習を人に与えられるのではなく、自分で自分の好きなやり方で能動的に一歩一歩踏み出していくこと。その背中を、この本はやさしく後押ししてくれます。

(目次)もう学校も先生もいらない!? SNSで外国語をマスターする《冒険家メソッド》 

  • 序章 私は如何にして「冒険家」となったか
  • 第1章 理論編:冒険家メソッドは「何ではないのか」
  • 第2章 基礎知識編:ソーシャルメディアについて知る
  • 第3章 実技編:さあ、冒険へ旅立とう!
  • 第4章 教育編:冒険家の育て方
  • 終章 さあ冒険へでかけよう!

なぜSNSなのか

SNSを利用することの根っこには、この本でもたびたび触れられている「外国語の勉強の相手は《人間》であって、教材ではない」ということがあると思います。

本の序章の中で、実際に村上さんが初めてアラビア語で情報を書き込み、コメントを受け取ったときのエピソードが書かれています。

これだ! 自分が求めていたのはこれだ! (中略)苦労して教室にいかなくても、教室の方がこっちに飛び込んでくるようなイメージです。

自分が学習の主体となること、それによって得られる喜びが躍動感とともに伝わってきます。教室のほうが自分に飛び込んでくるということ、それはいつでも手元からすぐにその学習対象の外国語話者とつながれる、という意味でもあります。

SNSを使って人とつながるには、能動的なアクションが必要です。一方、外国語の勉強も能動的な取り組みが必要です。でもそれに没頭している時間そのものが楽しいからこそ、人は自然と能動的になれるのではないでしょうか。そして双方とも人とのつながりの中で楽しさが倍増してくるものです。

そう考えると、SNSは外国語の勉強とすごく相性がいいことがわかります。

また、SNSに投稿して、それを誰かが見て反応してくれるというのは、主体的選択と主体的選択の結びつきでもあります。一歩踏み出したからこそ価値が出てくる、そのつながりから得るものがあると言えるのです。

主体的に勉強できるから満足度が高くなる

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広くソーシャルメディアを使いこなせるようになればなるほど、学習そのものの主体がより自分になってきます。

教室で先生に教わるには、非常に多くの条件をクリアする必要があり、その代償によって皆さんに最も適した先生から教えてもらう確率は限りなくゼロに近くなってしまうことには留意する必要があります。(p.33)

自分が主体であれば、自分のペースで自分の好きなコンテンツで自分の好きな時間帯に自分の好きな場所で学習を続けていくことができます。

そして、教室授業自体も相対化されてきます。つまり、テクノロジーを携えた学習主体としての自分から見れば、SNSや様々なアプリがずらりと並んでいる中で、教室授業もいわば「アプリのひとつ」ということです

物理的な「教室」という空間で、スタディ・バディ(クラスメート)と共に日本語を使いながら学ぶコミュニティ、というアプリ。

クラスは学習コミュニティとして機能します。(p.45) / むしろコミュニティとしての機能を期待して学校に来るのです。(p.51)

そしてさらに、もし自分の要件に合った「教室」がなければ、わざわざ教室に行く選択をしなくてもよいのです(=教室というアプリを起動して使わない)。

スクリーン越しにでも、先生と学びたいというときには、オンライン講師の中から探すことも可能ですし、また適した講師がいなければ、Lang-8やその他のコミュニティに投稿して疑問を解決することもできるでしょう。

つまり、“ネットワークに繋がっていれば、大体の問題はすでに誰かが解決してくれています。(p.16) ”そして、“ソーシャルメディア自体が教室なのです(p.40)”

そして村上さんは、こう付け加えています。

ソーシャルメディアのコミュニティの力を利用しない人は単なる独習者であって、冒険家ではありません。(p.113)

つまり、コミュニティに参加する、コミュニティメンバーとインターアクションするということそのものが主体的・能動的なかかわり方です。そしてゆるやかなソーシャルメディア上の「人とのつながり」を通じてこそ、本当の意味での外国語を使う能力を研鑽できる、あるいは自分もその外国語を通じてコミュニティに貢献できる、ということだと思います。

豊富に書かれた、ソーシャルメディア基礎知識編と実践編

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ボリュームのある第2章、第3章には、個々のソーシャルメディアや学習アプリの基礎知識や具体的な個々のツールの使い方が本当にきめ細かに書かれています。そして、どのようなニーズでそれぞれのソーシャルメディアを使えばいいのか、使う上での注意点は何か、なども併せて示されています。

読む、書く、聞く、話す - 4技能別ソーシャルメディア活用法もリスト化されて書かれており、初心者はもちろん、既にいくつか使っている読者にも新しい気づきや情報の整理ができる点で非常に役立つガイドブックでもあると思います。

また初心者や親や学校関係者が心配しそうなこともあらかじめ対策が書かれています。村上さんの豊富な知識や実際の経験なども通じてガイダンスがあり、まさに「大全」と呼ぶにふさわしいと感じました。

冒険家メソッド時代の教師の役割

そしていよいよ私たち日本語で教師の役割について、です。これは、p.184-185で引用されている、ヴィゴツキーやアインシュタインの言葉に集約されています。

科学的観点に立てば、他人を教育することはできません。教育は、生徒自身の経験をとおして実現されます。(ヴィゴツキー)

私は弟子に教えることはない。彼らが学べる条件を整えようとしているだけだ。(アインシュタイン)

つまり、もうここ数年、何度も多方面から言及されていること、“今の教師は教える必要などないのです。既に知識はどこにでも無料で転がっているのですから。(p.185)”ということを、私たちが芯から理解することが本当に大事だと思っています。そしてこれが出発点であるということです。

その上で教師は、アインシュタインが言うように、どのように学習者が学べる条件を整えられるのか、そしてヴィゴツキーが言うように、どのように学習者の経験をコーディネート/サポートしていけるのか、を改めて問い直し、教室授業の価値とは?という定義を再アップデートする必要があるのではないでしょうか。

そのためには、私たちも学習者としての視点、教師としての視点を行ったり来たりしながら、ソーシャルメディアを積極的に使ってコミュニティに参加していく(あるいはデザインしていく)ことが求められるのではないでしょうか。

ちなみにこの第4章は、外国語教師に向けて書かれた「《冒険家メソッド》をどうやって授業の中に取り込んでいくか」というもので、これも大変勉強になりました。コミュニティの設計方法から招待の仕方、活性化方法、ライブイベントの実施やデジタルバッジにいたるまで多岐にわたります。

最後に

いまの時代、どうやって外国語をマスターしていけばいいのか?という問い。それに対して村上さんがその豊富な読書量に裏打ちされたエビデンスと、あらゆる角度から自身で試行錯誤された経験をもとにまとめられたひとつの地図がこの本「もう学校も先生もいらない!? SNSで外国語をマスターする《冒険家メソッド》 」だと思います。

とにかくいま、幸いにもこの250ページからなる《冒険家メソッド》の全容に触れることができます。そしてあとは、どれだけ実践できるか、そして自身でアップデートできるか・・・。いろいろなインスパイアをもらった、とてもいい週末の読書でした。本当におすすめです。

P.S. この本や、むらログの中でも多くの冒険者インタビューが紹介されています。ぼくが印象に残っているのはカザフスタンのカリナさん。一度も学校に通わずに、独学(アニメのシャドウイング)だけでここまでできるようになるというのに、本当に驚き、感心しました。もし自分が日本語教師として、ここまでくる途中のカリナさんをサポート/コーチングしたとしたらどんなことをしただろう・・・と考えることをひとつの思考訓練にしたりしています。

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