すべては《ハッピー》のために。会社員から日本語教師になってよかった、5つのこと。

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どうも、ぬの★セブです。

2016年の5月に、プロの専任日本語教師としてベトナムのハノイでキャリアをスタートしてから、約2年半が経ちました。なんと濃密な日々。本当に走り続けている感じです。

でも情熱は日に日に高まるばかり。だからこそやっていけてますし、毎朝起きるといつもすごくハッピーで充実感に満たされています。会社員のときには感じられなかったこの感覚。今日はそんなことを書いてみたいと思います。

会社員を辞めた理由。とてもシンプルな自分への問い。

日本語教師になる前、ぼくは外資系IT企業の日本支社に勤めていて、製品のマーケティングを担当していました。試行錯誤しながらさまざまなマーケティング・プログラムを立案・実行し、うまくセールス拡大につながったときはこの上なく盛り上がり、純粋に仕事を楽しんでいたと思います。少なくとも中堅社員になるまでは。

(今から思えば、何の疑いもなく、RPGのように、ただゲームを楽しんでいただけだったのかもしれません)。

中堅社員になって会社全体のしくみを見渡せ、組織の中に深く組み込まれるようになってからは少しずつ違和感を持つようになりました。

「何のためにこの仕事をしているのだろう」「自分で設計したわけでも作ったわけでもない製品を、どうしてこんなに一生懸命売ろうとしているのだろう」「競合会社を出し抜くことにどうしてこんなに躍起になっているのだろう」「売って、売って、もっと売って、ターゲットを達成して、その先にはどんないい世の中につながるのだろう」・・・

もちろん、純粋にビジネスの世界そのものが大好きという人もいるでしょうし、会社というインフラを使って自分のやりたいことを実現したいと思っている人もいるでしょう。

でもぼくは違いました。本当の意味でハッピーじゃなかった。ただそれだけのことです。

給料には何の不満もありませんでしたが、やっぱり本当に自分がやりたいと思う仕事を、自分の好きな環境でやりたいという思いを貫いて、会社員をやめ、日本語教師になりました。当時は、スティーブ・ジョブスのこの有名なことばをいつも頭の中でリプレイしていたのを覚えています。

あなたの時間は限られている。だから、誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない。

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.

米スタンフォード大学 卒業式でのスピーチ(2005年)

日本語教師の給料のことについては、ここに一度記事を書いています。(参考記事:[お金] 今の給料でも、日本語教師として楽しく暮らしていくためには

日本語教師になってよかった、5つのこと

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ハッピー1: 自分の仕事が、自分の理想の世界観につながる

やっぱりまずハッピーのコアはここにあると思います。ぼくは真剣に世の中をよくしていきたいと思っていますし、そのために日々ポジティブなアクションをしていきたい。

いい世の中は、いい家族、いい友人関係、いいコミュニティ(リアル・バーチャル)が支えると思います。そしてそれは決して同国人の中だけに限らず、国を超えて同じ趣味の人がつながったり、同じ価値観の人がつながったり、同じ目的のためにプロジェクトをつくって実行したりすることで、より居場所が増え、コミュニティもカラフルになり、イノベーティブになると思っています。

そして人が流動する(できる)ことで、自分のやりたいことや、必要としていることを叶えられる可能性が高まり、やがては自分の人生を生きられることへつながるのではないでしょうか。

ぼくは、この多様化に、日本語が《1さじの調味料を加えるような貢献》ができると信じています。日本人にとっても、他国の人にとっても。国や人種を超えて「日本語でつながれるコミュニティ」が加わることで、相互理解のアクセスポイントがひとつ増えるのです。

ぼく自身の現在の言語ポートフォリオは、日本語⇒英語⇒中国語⇒タイ語⇒ビサヤ語、の順に濃淡を成しますが、やはり母語である日本語の『学習のサポート』をすることで、少しでもいい世の中へ貢献できると感じられることが、ハッピーなのです。

ハッピー2: クリエイティブでいられる

ぼくにとってクリエイティブとは、アイデアを「ユーザー体験」として提供できること。日本語学習に置き換えれば、

  • こうしたらもっと上達する!
  • こうしたらもっと楽しめる!
  • コーチとしては、こうしてほしい!

というようなことを、言葉ではなく、『学習体験』として提供することです。そのための日々のリサーチや分析、考案、創意工夫、評価のプロセスがこのうえなく好きなのです。

会社員のときは、面識もない誰かが設計してつくった製品の「売り方」を考えているだけでした。でも日本語教師は、自分でゼロからデザインし、プロトタイピングし、実際に授業で生徒に体験してもらうことでダイレクトにフィードバックを受けることができます。

いわばデザイナー/ アーキテクト/ アーティストとしての側面も常に刺激され、クリエイティブな日常を送ることができるという意味で、とてもハッピーなのです。

ハッピー3: Happiness at Work を感じられる

これは常々、落合陽一さんが言っている「ワーク・アズ・ライフ」にもつながることです。会社員のときは、会社自体が「ワーク・ライフ・バランス」を推進していたこともあり、社員もそれを強く意識していました。

いかに仕事を早く終えて、プライベートな時間を確保してメリハリをつけるか。

確かに一理ある考え方だったとは思いますが、実際、世界中の社員全員がそれぞれ、ただ単純に自分の仕事を早く終わらせようとすると必ず誰かにしわ寄せがくることになります。何しろ一人で完結できる仕事はほとんどなく、組織として必ず複数の人が絡むプロジェクトが無数に走っているわけですから。

そうすると、メールやチャットがひっきりなしに飛び交うことになります。もちろん定時後でも、休日でも。信じられないかもしれませんが、日曜の夜はそれが結構激しかったのです。なぜなら月曜日の朝にあるもろもろの会議の準備が必要だからです。

そこで問うわけです。休み明けの月曜日が楽しみに思えるか、どうか。

ワーク(労働、苦役)とライフ(プライベート)を切り分けようとするのは、やっぱりそもそもが自分の中で別々なものとして存在しているからだと思います。

今、ぼくは物理的な仕事の拘束時間としては、月曜日から金曜日までの朝8時から夕方5時まで。残業や休日出勤はゼロです。そういう意味で「プライベートな時間」はしっかりとありますが、ソーシャルライフを充実させながらも、いつも何か授業の工夫を考えたり、リサーチしたりしています。

それでも全く苦にならないのです。見聞きしたことや自分が勉強したこと、体験したこと、全てが授業のコンテンツとなり得ることが、ほんとうに楽しい。

そして、日曜の夜も、「月曜の授業で生徒たちに会って、日本語のコーチをすること」「新しいことを試すこと」が楽しみでハッピーなのです。

ハッピー4: 自己決定できる

そして自由さです。いいかえれば、自己決定できる、自己調整できるという裁量の範囲がとても大きいことです。

特にフィリピンの今の学校に来てから、それを強く感じます。現在、メインの学校で専任講師、もう一つの学校で「カリキュラム/ レッスンアドバイサー」を担当していますが、どちらも自分でかなりの部分を決めることができます。

学校はある期間におけるゴール(生徒の達成期待値)を示しますが、そのやり方は全て教師に委ねてくれています。わたしたち教師は自分自身でカリキュラムや教科書、教材を決めることができるのです。これはとてつもなくモチベーションが高まると同時に、自分自身への成長にもつながります。

例えば、隣の席に座っている先生とぼくでは全くカリキュラムも教科書も授業のやり方も違います。それは無関心ということではなく、お互いに《理想としているやり方》を尊重しているということです。(☆情報共有、情報交換はとてもオープンで頻繁です。)

そのうえで、ゴールを共有し、みな(教師)がそれぞれ工夫しながら達成しようとするところ、この自由さがとても魅力です。やっぱり会社員のときのほうがフォーマットが細かく決まっていて、期限内に「やらされる仕事」が多かったなあと思います。

ハッピー5:  仕事をする環境にフレキシブルでいられる

最後に、仕事の場所や働き方のフレキシビリティです。自分が心地よい環境、自分の強みを生かせる環境、自分のライフスタイルに合わせた働き方の可能性について言えば、会社員より日本語教師の方がはるかに柔軟性が高いと思います。

ぼくは自分の意向でベトナム⇒フィリピンと選んで、年単位の契約ベースで日本語教師の仕事をしていますが、(日本国内も含めて)世界を見渡しながら「自分の職能」を中心にして仕事の場所を考えられるというのは、とても贅沢なことだと思います。

会社員としてだったら、それはかなり難しいことです。

働き方についても、海外であれば、常勤、非常勤のほか、夜間クラス特化の非常勤とかもありますし、自分でオンラインレッスンを副業的にすることもできると思います。

また、ぼくは通勤ラッシュの電車が本当に苦手で、いまそれをしないで済むことがとてもハッピーです。毎日、片道徒歩10分で学校に通っていて、人ごみにさらされることも、通勤でストレスを感じることもありません。

このように「職能」をもとに仕事のモビリティを増せたことも、日本語教師になってよかったことのひとつです。

最後に

自分の経験を通して、日本語教師になってよかったことを語ってきましたが、やっぱり何といっても生徒の成長を見れること、これに勝るものはありません。生徒が日本語を楽しそうに学び、自身の成長を実感してハッピーになる。そしてそれをファシリテートした教師の自分もハッピーになれる。お互いの《幸せの総量》をあげる、そのために明日からまたいい授業をしたいと思います。じゃ、またーー。

 

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