どうも、ぬの★セブです。
最近、生徒たちにもっと「実際に話せる日本語」を身につけてもらうためにはどうしたらいいか、などをずっと考えていまして・・・。インプットとしてJドラマや映画、アニメなどのオーセンティック日本語を聴いてもらう時間をうまく増やしたい、のに加えて、
- できる限り協働と対話の場面(SNS含む)を作り出すこと。
- そこから立ち上がる反応をリアルタイムに拾いながら、文脈重視で日本語の世界を広げていくこと。
- 予定調和も準備もシナリオもない、《即興性》を、積極的に取り入れていくこと。
の3つが大事なんじゃないかなあ・・と。そしてこれらを4技能統合エンジンで回していくことなんじゃないかなあ、ということが、今、頭の中にあります。
で、これらは、言い換えれば、教室では限りなく生徒をメインアクター(Actor)にして、講師はプロデュース側にまわることでもあり、即興性を高めることは授業をより計画通りに行うことが難しい(というよりあまり意味がない・・)進め方にだんだん近づいてくるかもしれません。
「N2やN3を持っていても、日本語をまだうまく話せない学習者がけっこういる」「日本語学校で一定の期間勉強した後でも、やっぱり話すことは苦手のまま」 ⇒ 話せる日本語の授業開発がしたい・・」これひとつとっても、今までのカリキュラムでは物足りず、何か新しいことをやってみる価値があると思うのです。
これから数か月、上記にフォーカスした授業をどんどん試していこうと思っていますが、それについてはまた後日改めて経過を書いていくとして、今回は、既成概念にとらわれずにチャレンジできる新しい教師の価値について書いてみたいと思います。
日本語教師たるもの・・・?
以前、日本語教育業界に横たわる世代間ギャップの問題についてかいたことがあります。(参考記事: 「世代交代」で日本語教育も大きく変わるかもしれない。)
そこでは、既に、日本語教育業界で、
- 今までの既成観念から離れられない(あるいはひたすら守ろうとする)あっち側の先生たち、と
- ベテランでもニュートラルで好奇心旺盛で変化を楽しもうとしている先生たち & デジタルネイティブの20代先生たち、の
パラレル・ワールドが存在してしまっているということを書きました。
そこでは、例えば、今、日本語教師として、「どんな研修が必要か」「どんな資格が必要か」「どんな技術が必要か」「どんな資質が必要か」「どんな授業が理想か」・・などなどを問うたとしても、パラレルワールドのあっち側とこっち側で全然答えが違ってくると思います。
そもそも、日本語教師の方々一人一人見てみても、じわじわと多様化が進んでいてそれぞれの立場や環境で見えている景色が違ってきていると思います。
なので、「日本語教師!」とか「あっち側/こっち側」と一括りにすること自体が難しくなってきていると思うのですが、少なくとも《意識の持ち方としてのパラレルワールド化》は多くの方が感じてらっしゃるのではないかと思っています。
たとえば、ぼく自身、言葉ひとつとっても、仕事は日本語教師でありながら、もはや、「教師」や「日本語教師」という言葉からイメージされるニュアンスさえも、ちょっと自分の実態と違うなあ・・とまで思ってきています。他にも違和感ある言葉として、
- 日本語を「教える」(一方向で何かを教えることはしていませんし、)
- 教壇に立つ(キャンプファイヤー式で同目線の机配置なので、物理的にも教壇には立っていませんし、)
- 生徒に~させる(生徒が主役なので、~してもらう、のほうが近いですし、)
- 教案(作っていませんし、)
- 板書計画(立てていませんし、)
- 文型導入(していませんし、)
- 語彙導入(していませんし、)
- ICTの活用(普通に使いこなしたうえで、もう一歩先の世界まで行きたいと思っています)
などがあり、他の先生方と距離感が違うところがあるのだろうなと思っています。
ぼくは2016年にオーストラリアで日本語講師養成講座420時間を受講したのですが、今、実際に現場の授業で行っていることは、当時受けた従来型の研修内容とは程遠くなってしまいました。
新人こそ最初から常勤でフルにやってもらうべき
さて、日本語教師たるもの・・?という文脈で話を続けると、ときどきTwitterで見かける、《新人の方や経験が少ない方ほどたくさん授業を持てない》、というのは、すごくもったいないなあと思っています。
全く逆で、ぼくは、新人こそ最初から常勤でフル稼働でやってもらうべきだと思っています。
理由は3つあります。
- 既成観念にとらわれずに、広くチャレンジしてもらうため
- 自分で考え組み立てることで、自分のスタイルを身につけてもらうため
- 量をこなすことで、早い時期に「質量転化」を迎えてもらうため
本人のためになるだけでなく、長い目で見れば、全て、学校のベネフィットにつながってくると思うのです。
日本語学校のベテランの先生方が、良かれと思って新人の持ちコマ数をわざわざ少なく設定したり、非常勤やインターンで始めて徐々に・・・みたいに扱ってしまうのは本当にもったいないと思います。
せっかく既成観念に染まっていなくて、無限の伸びしろがあるチャレンジ・モンスター精神を減速させてしまう恐れがあるのです。
タブーを恐れず、「こうあるべきだ」の外側から、自由にあれこれ工夫できる人材は、業界にとってもかけがえのないものです。(企業が新人を採用するのと同様に。)
また、最初から量をこなしてくことで《アイデア⇒実践⇒振り返り⇒フィードバック》の出し入れが早くなり、それにつれて、精度も高まってくると思います。そしてその中で、ワンアンドオンリーの自分のスタイルが確立してくると思うのです。
以前も記事で引用した、カリスマ美容師の方のことばに、とても共感します。
Q: 美容業界で働き方改革が起きるとしたら、どういうところだと思いますか?
木村直人: 弟子制度ですかね。僕は、美容師免許を持っていれば、どうやって切ってもいいと思うんですよ。今のように5〜6年かけて修行するとかではなく、逆にいきなり独立させるとか、出資して外に出させたりするのもおもしろい気がします。もし弟子制度がこれからも続いていくとしたら、教えるべきは技術よりも生き方だと思います。
(参考記事:「経験年数」って素晴らしい)
ぼく自身も、今の仕事で高くモチベーションを持ち続けられているのは、初めて勤めたハノイの日本語学校(ベトナム人経営)が、最初からプロと扱ってくれて全て任せてくれたことにあると思っています。
そして今は、一般的な知識や教材、授業に関する様々な情報リソースが(動画など分かりやすい形で)ネットから得られる時代です。生徒も講師もある程度自分で勉強できる環境が整ってきています。
確かに、実際の授業では養成講座で習った基本の型を一通り自分で試してみましたし、周りの先輩教師の方々からもいろいろ学びました。
でもやっぱり、当時のマネージャーが言ってくれた言葉「クライアント(日系企業)や、生徒たちからクレームが来ない限りは、ぬのさんの好きなようにやっていただいてけっこうです。教案チェックもしません。いろいろ工夫して、他の先生たちとどんどんシェアしてください。」は、当時新人だったぼくにとって、とても励みになったものです。
日本語=学び方もいちばんCOOLな外国語へしていくために
学習者から見て、たくさんある外国語のひとつである「日本語」。長い目でみたとき、「日本語」そのものが魅力的に映るだけでなく、「日本語の学び方」も洗練されている、と学習者の目に映ることがとても大事だと思っています。
例えば、今、英語、中国語、スペイン語、ベトナム語、タイ語、ロシア語、など・・他の外国語と並べてみて、《日本語は学び方も斬新で、洗練されていてCOOL》と映るかどうか・・。
全ては学習者のために、知恵を尽くして、新しいものを取り入れ、工夫を重ねていくことがとても大事だと思います。また、その創造的活動が、日本語教師のモチベーションにもなると思います。(決して「日本語教師こうあるべき」にしかみつくことではないと思います。)
そのためには、業界でなんとなく漂っている従来からの「こうあるべきだ」から、いつも自由でいられる【チャレンジ・モンスターの先生方】がどうしても必要です。
好奇心旺盛で、明るく研究熱心で、フレキシブルで、アンラーン(Unlearn)をもいとわない、日本語教師の方々を本当に心から応援したいと思っています。そしてぼく自身もいつもそうありたいと思っています。
そんな中で、ぼくができることのひとつは、自分が考えて授業で実践したことをどんどん公開・共有していくことです。
何かほんの少しでもヒントになればうれしいですし、またもし同じようなことをしようと考えられている方々がいらっしゃったら、車輪の再発明を防げます。その時間を、応用やもっと別のことに有効活用できるのであれば、少しは業界に貢献できるかもしれません。
そしてネットとコミュニティでつながる、こういう小さな取り組みの集積が、新しい「日本語の学び方」のムーヴメントへつながるかもしれません。チャレンジあるのみ。
じゃ、またーー。