やっぱり、ネイティブとして《自然な日本語》を生徒と共有していきたい

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どうも、ぬの★セブです。

ぼくが受け持つ担任クラスのひとつが、ちょうど先週で規定のコース(6か月)が終わって、生徒たちが卒業していきました。

このタイミングでいつも思うことは、

  1. 学校に通ったことで、独習だけよりも楽しく効率的に、多くを学んでくれたかなあ・・
  2. これからも自分で(あるいはスタディ・バディ(Study Buddy)たちと)日本語の勉強を続けてくれるかなあ・・
  3. 日本語話者(特に母語話者)の海の中で、めげずにサバイブしていってくれるかなあ・・

の3つです。

1、2については、普段の授業の中で、講師が(常識にとらわれず)もろもろ工夫したり、自習やクラスメートとの学び合いのし方を身につけてもらうことで、少なからずサポートできることがあるのかなと思います。

ただ、3についてはどうでしょうか。実はここが(日本語を実践で使うという意味で)けっこう大事で、自身がネイティブ講師だからこそ、授業を通してもっと生徒を支えられる余地があるのではと思っているのです。今日はそんなことについて書いてみたいと思います。

原因・理由を表す接続助詞「から」?「ので」?

数日前に、ことば研究館さんの記事をツイッターでシェアしました。

タイトル通り、原因・理由を表す接続助詞「から」「ので」が、日本語話者でどのように使われているか、という記事です。

この記事を読みすすめる中で、ぼく自身のとある苦い経験を思い出しましたので、まずそれをちょっと紹介したいと思います。


2014年のオーストラリア。ランゲージ・エクスチェンジで友だちになったマイケルに頼まれて、日本語チュータリングをすることになりました。(当時のぼくは、会社員を辞めて渡豪したばかりの、ただの留学生。)

そして忘れもしない一番初めのレッスン。マイケルは、簡単なコミュニケーションなら日本語でできる初級の既習者。あいさつから始めて、日常のことを話し始めてから、その場面が訪れました。

なんかの会話の流れでマイケルが「いえ、もう【遅かったですから】、(アニメを)見ないで寝ました。」のような返事を返したのです。

今となってはもう耳慣れしてしまった、この言いまわし。でも当時のぼくは大きな違和感をおぼえて、「マイケル、《遅かったので》のほうが、いいと思うよ遅かったですから、はあまり使わないよ。」と言ってしまったのです。

マイケルは「いや、でも、《Because….》は、【・・ですから】と習いましたよ。教科書にも書いてあります。」

ぼく「本当? いやあ、それはあまり使わないけどなあ・・・。もちろん通じるけど・・。」

せっかくのマイケルの発話を腰折れさせてしまい、今でもこれはぼくが「学習対象としての日本語」に遭遇して失敗した原体験として、強く記憶に残っています。

なぜ、【・・から】を使うのか?

下のグラフは、ことば研究館さんの記事内の調査結果です。目上の店長に対して、アルバイトをしている者が日数変更を依頼する、という場面設定で、「から」「ので」どちらのほうが使われるか、というものです。目を引くのは、日本語母語話者が「ので」しか使っていないことです。

ことば研究館

目上の人に対してという場面設定だから、その特質上、日本語母語話者は「ので」を使ったのだといえるかもしれません。そしてそれとは対照的に、日本語学習者の大半は「から」を使っています。この理由を、ことば研究館では

先に「から」を学習した場合,「ので」を後から学習しても,「から」ばかり使ってしまうということです。(ことば研究館)

と述べています。つまり「教科書の提出順」が強く影響しているということです。

“『みんなの日本語』では「から」は9課、「ので」は39課で導入される(ことば研究館)”ということは、学習者は最初に出会った表現「から」を練習してから、(もし講師が何も触れないとしたら)そうとう長い期間、「ので」に触れないまま、「から」をずっと使い続けるということになります。

どうして・・・?

これは、従来の日本語教育が「です・ます」優先で行われていることの反映だと思われます。理由の表現「から」は、「です・ます」とそのまま接続できます。一方、「ので」は、基本的に《普通形》と接続するため、学習の負担を考えて後回しにされているのだと推測できます。

でも実際は、「から」も「ので」も《両方使うのであり、また場面によって使い分ける》のがナチュラルな日本語の世界です。

そしてグラフに表れている通り、実際、誰かに何かを依頼するというときに、もし日本語母語話者が100%「ので」を使うのなら、「から」も「ので」も最初からあわせて提出・共有するほうが、学習者のためになるのではと考えるのです。

教科書の提出順という都合だけで、もし頻出表現が出し惜しみされてしまったら、それこそ教室用・学習用の日本語とリアルな世界の日本語が切り離されてしまい、2つをシンクロさせるのがどんどん困難になってしまうと思うのです。

ほんとうに《です・ます》優先で良いのか?

ここになかなか面白い本があります。「日本語びいき」清水由美 著(中公文庫)- 日本語教師の方なら既に読まれたことがあるかもしれません。

超ベテランの日本語教師の方ならではの日本語トリビア満載で、切り口も独特でとても勉強になりますし、それでいて文体がほのぼのしているので、穏やかに読める良書だと思います。

日本語びいき

そんな中、一か所だけどうしても自分と意見が違うところがあり、それが《です・ます》に関する記述のコラムです。以下、引用してみます。

つまり、「自然でフレンドリー」な話し方をするためには、文法の上で極めて高いハードルを越える必要があるのです。(中略)フォーマルな場面で、いきなりくだけてしまったら、品位を疑われるでしょう。それくらいなら、堅苦しい奴だな、と思われる方がまだましです。

というわけで、よそよそしいデス・マス口調は、少しの手間で学習者の「可動域」を広げると同時に、学習者の品位を守る文体でもあるのです。(P.48-49、日本語びいき

確かに、そういう面もあると思いますし、これは著者の清水先生だけでなく、今までずっと日本語教育業界を形作ってきた伝統的な考え方なのだと思います。

ただこれは、日本語学習者が日本語と関わる分野・世界が限定されているうちはまだよかったのかもしれません。

少数の日本語学習者 < 大多数の日本語母語話者 

でもこれからは全世界の日本語学習者がより「多面的に」「密接に」日本語母語話者と関わる時代。移民の増加に伴って、国内でも日本の経済、社会、生活に組み込まれていくバックグラウンドを前提に《これからの日本語》を考え、《これからの日本語話者》を考えるべきなのでは、と思うのです。

(第二言語としての)日本語学習者 + 日本語母語話者 = 【日本語話者】

そう考えると、ぼくは、この《です・ます優先》が本当に日本語学習者を守ることにつながるのかどうか、疑問なのです。事実、日本語の日常世界の中では普通体も丁寧体も両方使いますし、むしろ、丁寧体(です・ます)を使うのは、《いろいろな意図で、相手とある一定の距離感を保つとき》だと思います。

さらにこれは日本のTVドラマや映画、アニメなどを見ていても一目瞭然で、エンタメコンテンツが好きな日本語学習者には「先生、学校で習う日本語と全然違います!」とたちまちばれてしまいます。

なので、学校がよかれと思って意図的に学習者を《です・ます》の檻の中に閉じ込めてしまうのではなく、むしろ【日本語は、相手や場面によって使い分けるんですよ】という大きな地図を最初から見せてあげ、少しずつ使い分ける練習をしていくほうがより自然な日本語使い=学習者のためになるのでは、と考えているのです。

この《です・ます》の軛(くびき)から自由になれれば、先の「から」「ので」はもとより、教室で勉強する日本語がリアルで自然な日本語の世界と接続され、教室日本語の特殊化を防ぎつつ、学習者の「よりわかる!」「より自然」を加速できるかもしれません。

そして、こういう授業は、ネイティブ講師だからこそできるのだとも思うのです。

おわりに

でも、どうやって?とか、理想はいいけど、ほんとにできるの??と思われるかもしれません。

ですが、たとえば実際、ゼロ初級クラスを対象に、バラエティに富む普通形から導入していく授業をもうかれこれ1年前から続けていますが、かえって効率よく習得が進むという手ごたえを感じています。(参考記事: 「行動中心アプローチの授業」とJLPT対策は両立できる!-7つのポイントと課題

また、数か月前からは、ぼくの担任クラスでは、帯活動の中で必ず数分オーセンティック素材を使い、自然な日本語に触れつつそこから語彙や表現を増やしたり、文化の違いのディスカッションをしたりしています。(⇒ NHKニュース、YouTubeでのスピーチやインタビュー、TVドラマや映画の切り出し、映画の予告編、エリンが挑戦、そしてTVCM!など)

自然な日本語の世界と今の教室での日本語の勉強がつながることで、モチベーションもあがってくるものです。

もちろん、まだまだ全然、これでは足りなくて、もっともっといろいろなことができるはずです。ただ、少なくとも、教科書の文型提出順とか《です・ます》に講師自身が縛られることなく、自然に自分が使う日本語の立場から全体の授業をいったん解きほぐして、生徒が触れる日本語を見つめ直してみるのも、いいんじゃないかなあと思うのです。

じゃ、またーー。

2件のコメント

  1. こんばんは!私も日本語教師ですが、「ので」「から」については、おもしろい生教材がありますね。電車の駅で、エスカレーターに乗ったら、「あぶないですので、黄色い線の内側にお立ちください」といい、ほーむでは「あぶないですから、黄色い線の内側にお下がりください」と言います。客観性と主観性の違いだと思います。

    いいね: 1人

    • いつもお読みいただき、ありがとうございます。おっしゃるとおり、「客観的」「主観的」の要素はあると言われているようですね。一方、初級学習者にはなかなかその観点での使い分けが難しいというのもありまして・・・。実際ぼくは、「から」「ので」を同時に扱って、「ので」のほうが丁寧に聞こえるので、こちらのほうを(仕事では特に)よく使う、と説明するにとどめています。ひきつづき、シンプルな説明を研究していきたいと思います!
      (参照した論文: https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/45574/1/BISC003_002.pdf)

      いいね

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