どうも、ぬの★セブです。
ダウンロードして、Kindleで読むというルーティーン :)。
今日、2019年3月24日現在、ぼくのKindle Paperwhite 32GBモデルには、537冊のアイテムが保存されていて、コーヒー片手に好きな本やマンガを読むのは、本当に格別なひとときです。
そして、2月末発売と同時にダウンロードした、村上 吉文氏の「むらログ2018: 冒険とパラダイムシフト (冒険の書)」は、Kindleで読むのにぴったりと馴染む本のひとつだと、感じます。
この本は、もともと村上氏が書かれているブログ(というか、かれこれ優に10年以上も前から書き続けられている・・・)むらログを、2014年以降、年度毎に再構成したもので、その最新版 - 2018となります。
そもそもが横書きの“テキストデータ”なので、デジタル・フィット性が高いわけですね。
そして、ぼく自身、むらログの読者なのですが、改めて2018年再構成版として読み直しても十分読み応えがありますし、「やっぱりそうだよなあ・・・」と何度も気づきを新たにしながらハイライト読みしていきました。
読後感をまとめて言うとすれば、日本語教師は《変化をすばやく感じとり、アンラーニング(Unlearning)をいとわず、テクノロジーとともに世界とつながり、日々実践あるのみ。》というところでしょうか。
そして、さらにまるっと言うなら、【日本語教師のみなさん、そこにあるテクノロジーを使いこなしましょうよ!】というメッセージを受け取れるかもしれません。
とにかく村上氏自身が日本語教育コンサルタントであると同時に、猛烈な実践家(と呼ばせていただきます・・・)でもあります。ですから、綴られていることに裏打ちがあり、ぬくもりがあり、またある種の“凄み”さえ感じられます。
村上氏から見えている広大な日本語教育という景色からは、いろいろな【バグ】 - とくに旧態依然とした保守主義からくるもの - が顕在化しています。でも、氏はそれを大所高所から批評するのではなく、自ら実践することでぼくたち現場の日本語教師とそれを共有し、「さあ、みなで解決していきましょうよ」というアプローチなのです。
ページをめくるたび、そのシグナルをびんびん感じるわけです。それもあって、この最新版の「むらログ2018: 冒険とパラダイムシフト (冒険の書)」は、ぼくたち日本語教師が今現在の自分の仕事を見つめ直すうえで、思考の触媒となる、格好の論考ともいえます。
またもうひとつ面白いのは、この本を読んでいると、著者の村上氏と対話しているような不思議な感覚になります。それは、「第1部 ICTと教育(音声入力など)」で自身がおっしゃっているように、文章の多くが実際、音声入力で書かれているんですね。さすがだなあ、と感心しつつ、自分のような現場の教師こそもっと実践しなくては!と刺激を受けるわけです。
ということで、では、印象に残った主な部分をいくつか書いておきたいと思います。
ICTが欠けた語学(日本語)教育って?
「第1部 ICTと教育」- ぼくはこれがこの本のメインとなるメッセージだと感じました。
ICTと教育、ICTと自分の仕事・・・今の時代を生きる中で(というかさらに、学習者の生活スタイル、学習スタイルがテクノロジーとともに大きく変わってきている中で)、わざわざICTに対して目を閉じて旧来通りのやり方をし続けることにどれだけ意味があるのでしょう?、ということを氏は具体例を挙げながら説明しています。問題提起にとどまらず、エビデンスや自らの経験もふまえた具体的な解決策をも提示しています。
そしてご自身の10年前の投稿を引用し、10年前から基本的に「旧態依然の全時代的な教育方法が変わっていない」ことに失望、落胆、そして責任さえ感じていらっしゃいます。
それにしても、 この10年の間に旧態依然の保守的な教育機関から輩出されてきた何百万 人もの若者がかわいそうでなりません。そしてさらに残念な事は、10年前の高校生だっ た世代が新しい教育観などを知らずにそのまま大学を出て教員として教育現場に戻り、同じようにアナログで正解コピー型の教育を行っていることです。ま、それも当然です。だって正解をコピーすることしか教わってない んですから。自分が行ってきた教育方法に 何の疑問も持たずにそのまま次の世代に与えているのです。
村上 吉文. むらログ2018: 冒険とパラダイムシフト (冒険の書) (Kindle の位置No.963-967). Kindle 版.
学習者にとっても、教師にとっても、社会にとっても大きなメリットがある(三方良しのはずの)ICTの活用に耳目を塞ぎ、従来通りの延長線上でしか授業を繰り返せない、教育/日本語教育業界のシステムとは。
このとてつもなく大きなバグに潜むのは、
- 今までのやり方が一番無難(チャレンジとリスクを嫌う前例主義)
- 「あなただけ違ったやり方をしないように・・・」(日本独特の同調圧力)
- 自分が理解できる世界なら安泰(既得権益の維持)
- テクノフォビア
という、変わらないことを是とする空気の存在でもあり、それが未だ組織の中で権力を握っている証拠なのかもしれません。
ぼくはいま、ラッキーなことに、海外の小さな日本語学校で《自由と裁量権を行使できる》立場で仕事をしています。学習者が伸びるためなら、そして結果を出せるなら、ICTの活用も、定期テストの廃止も講師の裁量で判断ができます。
ただ、もし日本のそれなりのサイズの組織で働いているなら、そうもいかないでしょう。そして選択できるオプションは2つ。組織を説得して動かすか、それが必要のない組織へ移るか・・・。いずれにしても、自分自身が積極的にICTにコミットしようというする姿勢と学びはとても大切だと思います。
ちょうど今、並行して読んでいる落合陽一氏の本にも、こう書かれてありました。
歴史上リベラルアーツは、メカニカルアーツをやや見下しているところがありました。しかし、テクノロジーを抜きにしたリベラルアーツには、今や市場価値がありません。逆にメカニカルアーツについても、抽象的な問いを扱わない学問はシステムによる最適化が得意とする分野なので、省人化・非人化される可能性が高いと言えます。
落合陽一. 0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書 (Kindle の位置No.831-834). 株式会社小学館. Kindle 版.
教育もICTと融合してこそ新たな価値を生むもの = それぞれが個別な学問としてばらばらに存在するのではなくて、有機結合させてこそお互いを活かせる、ともいえます。
ただ、そんなに肩ひじ張らずに、それこそ身の回りにあるテクノロジーをまずは淡々と使っていけばいいとも思うのです。いま、テクノロジーは難しく冷たいものではなくて、むしろテクノロジーから遠い人たちのほうへどんどん近づいてきている(誰でも使えるように進化を続けている)優しいものなのです。
いずれにしても、「第1部 ICTと教育」は、何度も読み返したい章でもあり、ここだけ読んでも十分価値のあるパートだと思います。
どんな経験でもないよりはいいのか
そして個人的にお気に入りの記事は、第7部: キャリアデザイン の後半に出てくる「どんな経験でもないよりはいいのか」です。
さて、先ほど、「どんな経験でも役に立つのかという問いには一つだけ条件がある」と書きました。それは何かというと、「アンラーニング」(unlearning)できるかどうかです。アンラーニングというのは、新たに学び直すために、一度学んだことを解きほぐし て、必要であればその考えを否定するという意味の言葉です。
村上 吉文. むらログ2018: 冒険とパラダイムシフト (冒険の書) (Kindle の位置No.5879-5882). Kindle 版.
言い換えれば、自分の経験の全てにとらわれるのではなく、もっと広い視野で世界観を広げていき、常に柔軟であろう、ということだと思います。
そしてメタ的に振り返って見て、光り輝く意味のあるものを想像力をもってつなげていき(スティーブ・ジョブズの「Connecting The Dots」)、新しいものでアップデートしたほうがよければ迷わず学び直す。・・・
これは、ビスマルクの有名な言葉「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」にも通じると思います。
自分の経験に基づいた「こうあるべき」から自由になるのは簡単ではなく、勇気もいります。でも、常に選択できること、何物に捉われないことこそ自由だと考えれば、心のもちようとして「アンラーニング」を携えているかどうかはとても大切だと思うのです。
一般論より、自分の「ドット」を信じること
そしてもうひとつの観点からは、会社員を経験したからといって社会を知ったことにはならない、ということです。
ぼく自身、IT業界の会社員経験者ですが、たしかに自分の仕事(製品マーケティング)を通じて、いろいろな業界の顧客や取引先と仕事をしてたくさんのことを学びました。でも、それも5年前までのことです。
今では業界も変わっていますし、仕事のしかたも全く違うでしょう。(少なくともぼくが働いているときは、無人のコンビニやKioskなんて存在しませんでした。)
それよりも、むしろ謙虚に「自分は知らない」という前提に立って、好奇心をもって常に世界にアンテナを張っていたほうがいいのではと思います。そのほうがポジティブに多様性に適応できてくるんじゃないかな、と思うのです。
また、キャリアとして会社員を経験したほうがいいのか、という【一般論】よりも、ぼくは「自分が興味があることにどん欲になって、後悔しないように、それをやってみる」ことのほうが大事だと思います。それがまさにジョブズの「Connecting The Dots」だと思うのです。
“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
– Steve Jobs: Stanford commencement address, June 2005
ぼくも、日本語教師のキャリアとして経験したほうがいいから、先に会社員になったわけではなくて、会社員の経験の先に、たまたま日本語教師を(やりたい仕事として)自分で選んだだけです。そして、結果的に、自分オリジナルの授業アプローチにつながっているというわけです。
ですから、キャリアは、誰かが敷いたレールである一般論ではなく、自分の直感を信じて選択行動していって、後からドットとドットをつなげていくというほうが自分にとって意味のあるものといえると思います。
さいごに
こうして改めて、むらログ 2018を読んでいると(≒ 村上氏と仮想対話していると)、どんどん思考が活性化されて、実践家になろう、前へ進もうという動機づけが高まってきます。
そしてぼくが素直に感じた読後感 - 《変化をすばやく感じとり、アンラーニング(Unlearning)をいとわず、テクノロジーとともに世界とつながり、日々実践あるのみ。》 - これをつよく意識できただけでも、読んでよかったと思います。
そして、《この本の収益も全額が「 海外にルーツを持つ子どもと若者のための日本語教育・学習支援事業」 を実施 している NPO 法人 青少年自律援助センター (YSC)に寄贈されます。》という貢献にもつながりますので、ぜひ多くの日本語教師の方に読んでいただけたら、と思います。
そして冒険は続く。・・・じゃ、またーー。